擦り切れた外見の奥には、着る人に合わせて直すことまで考えた手仕事が残っていた。その見えない仕立てを前に、長谷川さんの目には涙が浮かんだ。
「衣服の表面からでは見えない仕立てを確かめ、伝える仕事をしていきたい」
長谷川さんはそう心に決めた。それが衣服標本家への一歩を踏み出した瞬間だった。それから長谷川さんは、気になる古着を入手しては、分解して構造を確認するようになる。
「マニアックすぎる」と企画が通らなかった会社員時代
服飾専門学校を卒業した長谷川さんは、商品ごとに生地から独自開発するような、モノづくりへのこだわりが強いアパレルメーカーに就職した。デザイナーが描いたデザイン画を、立体的に着用できる型紙へと変換する「パタンナー」として。しかしそこでは、自分の表現したいモノづくりはできなかった。企画が通らなかったのだ。
「僕が提案していたのは、19世紀末のベルエポック時代の服です。そう聞くと、きらびやかでフリフリした服をイメージするかもしれません。でも、当時の服の中には、見た目から想像する以上に腕を動かしやすい構造のものがあります」
提案が却下された理由は、「マニアックすぎる」だった。当時の企画方針や顧客層には合わず、提案は採用されなかった。
「自分の意見をはっきりと言うので上司から煙たがられていましたし、周囲とうまくやっていくことができませんでした」
会社で採用されなかった関心を、長谷川さんは勤務時間外の学びと研究へ向けていった。平日は会社の仕事で朝から晩まで働きながら、土日はテーラリングの私塾や他のアパレルブランドの勉強会に参加し、自分の作りたいスーツを作っていた。
そして、興味を持ったヨーロッパの100年以上前の服を少しずつ買い集め、収集した衣服のうち、構造を調べるために必要なものを分解し、実物の観察と資料の読解を重ねた。関連書籍を読んだり、欧米の書籍も翻訳して読み込みながら、その服が作られた時代背景や歴史なども学んでいった。


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