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「人生を丸ごと抱きしめ、とことん面白がって生きた」宇野千代の言葉が、令和を生きる私たちの心に刺さるワケ

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宇野千代
現代人の心にグッと刺さる宇野千代の言葉、その魅力に迫ります(写真:世界文化社)
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或る日のこと私は校長室に呼ばれた。

「まことにお気の毒なことじゃが、ああたはこの学校をやめて貰わんけりゃならんことになりましてのう」と校長は言った。小学校の教員同士の恋愛はご法度であった。私だけが諭旨(ゆし) 免職になった。

私の免職になった噂はその日のうちに村中に知れ渡った。私は女学校のときの国語の先生を頼ってソウルに行くことにした。

母は私に、「馬関(下関)じゃあのうて、新港(岩国)から汽船に乗ってお行きたらええでよ。新港から夜の明けしなにお出いでると、誰も知った人はおらんけのう」と言った。

不幸な娘が村を出て行く姿が誰の眼にもふれないように、と言う母の思いが、そんなであったのか。いま思い出しても辛い気持ちである。

明けの朝、瀬戸内海沿いの小さな港から、船に乗った。ぽお、ぽお、と汽笛が鳴った。港には、他に人の子ひとりいなかった。

私はソウルから半年とたたないうちに、男に会いたくて、岩国へ帰って来た。駅へ降りると、川西の自分の家へは行かず、男のいる山里への道を急いだ。

男は私を見ると、「ああた、どうしてお戻りんされたのじゃ。さあ早う、お往(い)にんされ」。男は錯乱したようになって、庭へ飛び下り、力いっぱい、私の体を突き飛ばした。〔中略〕

或るとき、郷里を出てから四、五年ぶりに帰った。私が臥龍(がりょう)橋を渡ろうとしていたとき、向こうから女学校の漢文の教師も橋を渡りかけていた。しかし教師は私と分かったころ、くるりと向きをかえて橋を渡るのをやめて、行ってしまった。

教師は用を思い出したのかも知れない。しかしこのことは深く心にとまった。私は田舎の人が自分を避けるのは当然だと思いながらも、私もまた田舎の人を避けたのである。

しかしほんとうに私は無関心であったのか。私は無関心を装っただけである。

郷里との不即不離

私の書いた『おはん』と言う小説がある。その『おはん』の中の加納屋の語り口は郷里の言葉そっくり、とは言わないが、私の創作した田舎言葉である。〔中略〕

『おはん』に使った環境は私の田舎そのままである。私は復元した田舎の家へ、あるとき東京からお客を桜見物に十八人も招待した。〔中略〕

私は二、三日前から何から何まで用意周到に客を迎える準備をした。私は好きな人が出来ると、その人が喜びそうなと思われることを、あれかこれかと雨の降るよう矢継ぎ早にして了う癖がある。それと似ている。

翌日は錦帯橋を見物に行く。私は自分の生まれた町にこの橋があるのを自慢にしている。この古典的な形はどう変えようがないほど美しい。〔中略〕

桜の季節の錦帯橋(写真:プロスゴ / PIXTA)
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