NHK連続テレビ小説『ブラッサム』で、宇野千代をモチーフにした主人公・葉野珠の同級生である角田忍(演:木竜麻生)が、 平塚らいてうによって書かれた『青鞜』の創刊の辞を読み上げる場面があった(第2週「父からの、解放」第6回放送)。
「元始、女性は実に太陽であった」
明治44(1911)年に創刊された女性文芸誌『青鞜』。その創刊の辞で、らいてうは女性が自らの力で生きることを力強く訴えた。
朝ドラでも話題の「青鞜」
ドラマでは忍が「何べん読んでも震える。うちも〈らいてう〉みたいに物が言えたらいうてずっと思っちょる」と『青鞜』を抱きしめた。
実際の宇野千代もまた、『青鞜』が創刊された時代を生きた女性である。千代が生まれたのは明治30(1897)年。らいてうより11歳年下で、『青鞜』が創刊されたときには13歳だった。その後、大正10(1921)年に「脂粉の顔」が懸賞小説に入選し、作家として世に出ていく。
千代が文学の世界に踏み出していったころは、らいてうらによって投げかけられた「女性が自分自身の生き方を選ぶ」という意識が、社会に広がっていった時代でもあった。
では、らいてうは、なぜ「女性は太陽であった」と宣言したのか。そして、『青鞜』は当時の女性たちに何をもたらしたのだろうか。
明治19(1886)年、のちに「平塚らいてう」として名を馳せる平塚明(はる)は、会計検査院に勤める父と、典医の娘である母のもとに、3人姉妹の末っ子として東京で生まれた。第1子は早くに他界してしまうが、もう一人の姉・孝がとても女性らしかったため、明は比較的自由に伸び伸びと育てられた。


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