成績優秀だった明は、女子高等師範学校付属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属高等女学校)へ進学。難しい年頃になっても父と仲良くしていたが、「女だから」という理由で、何かと反対されることが多くなっていく。
最初は英語の学習である。明が通う女学校では、英語が自由科目であり、英語を選択しない場合、その時間は裁縫にあてられることになっていた。明は英語の科目をとらせてもらえず、裁縫をやらされていた。父が「女に英語は必要ない」と考えていたからである。
それでも女学校2、3年生のころにどうしても学びたくて、個人授業として英語を受けるようになる。そのことを「当時の父の復古思想に対する、私の最初の無意識の反抗であったかもしれません」と、明はのちに振り返っている。
「女だから」と父から学問を反対される
また女学校4年、5年のときには富士山に熱中した。富士山に関するものならば、絵や写真はもちろん、富士をテーマにした詩歌や、わずか1~2行の新聞記事さえ集めるほどの熱の入れようだった。
夏休みになり、明は思い切って父に「富士山に登ってみたい」と打ち明けたが、父から許しが出ることはなかった。
そして極めつきが、進路決定のときだった。女学校を卒業した明は、日本女子大学校への進学を希望。国文科・英文科・家政科があったので、明は以前から好きだった英文科に進もうと決めていた。だが、志望先を話すと、またもや父に反対されてしまう。
「女の子が学問をするとかえって不幸になる」
さすがに気の毒に思った明の母が説得してくれたため、家政科ならば、という条件で日本女子大学校への進学が許された。
明の父は明治政府の官僚として欧米を視察し、外国の文化にも触れていた。ところが、明が女学校に通うころには、家庭でも欧化主義から復古的な風潮へと変化していた。そんな父から「女だから」という理由で、学びたいことを何度も反対されたのである。
当時は、「女だから」という理由で女性の進路や学びが制限されることも珍しくなかった。そんな時代と明は立ち向かっていくことになる。
念願の日本女子大学校を卒業しても明確な進路が決まらなかった明は、速記の仕事でお金を稼ぎつつ、成美女子英語学校に入り直した。授業後は女性のための文学講習会「閨秀文学会」に顔を出すようになり、そこで出会った夏目漱石の門下生で、妻子ある作家の森田草平と心中事件を起こしてしまう。


※ログイン後、コメント入力が可能です。