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御年95歳の看板娘!チャーミングな笑顔の裏に隠された"逆風の日々" 「別府ブルーバード劇場」館長の"現在の夢"とは?

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岡村照さん
「別府ブルーバード劇場」の看板娘、岡村照さん(写真:筆者撮影)
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その日、舞台の上には当時の別府市長もいた。渥美清にそっくりの市長と親しかった照さんが、セッティングしたのだ。先に市長が出て話をしたところで、渥美清が市長に向かって「よお、兄貴」とアドリブをきかせて登場。会場はかつてないほどの盛り上がりを見せたという。商魂たくましい照さんは翌日、市役所の職員の人数に相当する1000枚の映画チケットを市長のところに持っていき、すべて買ってもらった。

寅さんこと渥美清さん(左)と当時の市長(中央)は、たしかによく似ている(写真:筆者撮影)

別府で唯一の映画館に

映画人気に陰りが出始めたのは、レンタルビデオ店が全国に普及した90年代に入ってから。99年には日活との契約も終わり、「別府ブルーバード劇場」に名前を変えた。

最も影響が大きかったのは、複数のスクリーンを持つ大型の劇場シネマコンプレックス(シネコン)の登場。2000年、別府市の隣りの大分市に「シネフレックス(現・TOHOシネマズ 大分わさだ)」ができると、一気に客足が遠のいた。

映画館には、正式な公開時期に合わせて映画を上映する「一番館」と、一番館での上映がひと通り終わった後に上映する「二番館」がある。当初、別府ブルーバード劇場は一番館だったため、シネコンと競合しなければいけなかった。お客さんは、新しくてきれいで快適なシネコンに流れたのだ。

娯楽が多様化した1980年代から2000年代にかけて別府市内にあったほかの映画館がバタバタと閉館し、気づけば別府市内で唯一の映画館になっていた。映画の貸出料金は興行収入に連動した金額になっていたが、お客さんが来なければどうしようもない。照さんは再び家族や友人知人に借金を重ねた。それでも、映画を諦めきれなかった。

「これ以上借金しても、先があるのかと思った時もありましたよ。一時期は、映画館をやめてダンスホールにしようかと考えたこともあります。でも、やっぱり映画が好きやったんやろね。別府に映画館がないのは寂しい、最後の一館として頑張ろうと思いましたね」

別府のメイン通り沿いにあるブルーバード劇場(写真:筆者撮影)
アンパンマンなども上映する(写真:筆者撮影)

客足が回復し始めたのは、二番館に切り替えてから。一番館での上映を見逃した人が観に来るようになった。その頃、転機が訪れる。2015年、映画ライターの森田真帆さんが、プライベートの旅行中に訪ねてきたのだ。照さんの次女、実紀さんがその出会いについて教えてくれた。

「森田さんが映画の仕事を辞めようかなと思ってた時期に、たまたまうちに映画を観に来たんです。 その時、お客さんが森田さんしかいなかったこともあって、照さんが『あなた、これ食べる?』ってお煎餅を渡したんですって。そういう昔ながらの雰囲気が『ニュー・シネマ・パラダイスみたい』と思ったらしくて、映画が終わった後、『次の日から働かせてください』と照さんに頼み込んできたんですよね」

「面白い子が来た」と感じた照さんと実紀さんは、森田さんを受けいれた。そして、東京と別府の二拠点生活を始めた森田さんに、上映ラインナップの編成を任せるようになる。森田さんは仕事で知り合った監督や俳優に声をかけ、舞台挨拶や映画と連動したイベントなどを企画するようになった。すると、レトロなたたずまいの別府ブルーバード劇場と館長の照さんに光が当たるようになり、映画関係者にも注目されるようになっていった。

17年には、第1回「Beppuブルーバード映画祭」を開催。テーマはなんと、「照ちゃんの映画人生を、映画でお祝いしよう!」。ゲストには西村知美さん、村上虹郎さん、津田寛治さんなどが名を連ねた。この映画祭は24年まで続き、石橋蓮司さん、阿部サダヲさん、リリー・フランキーさん、斎藤工さんなども参加して話題となった。

「昔は役者さんが九州に来ても福岡まででね、別府には来なかったんですけどね。森田さんがおるのは大きいね」(照さん)

この映画祭が縁となり、斎藤工さんはその後、何度も別府に来ている。照さんが「工」と名前で呼ぶ仲だ。斎藤工さんが訪れる日は、常に満員のお客さんで席が埋まる。

1階と2階の間に飾られている照さんの肖像画(写真:筆者撮影)
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