よりにもよってテレビの取材が入っている日、上映中にフィルムが切れたこともある。その時も、助けを呼んだ。映写技師が現れるまでの時間を持たせるためにジュースを買ってきて配り、「すいません、ちょっと待ってください」と頭を下げて回った。腕利きの映写技師は3分で駆けつけ、あっという間にフィルムを直して、風のように去っていった。
サプライズで舞台挨拶に登場した「寅さん」
当時は映画の配給会社が「貸出料金」を設定していて、映画館は興行収入にかかわらずその料金を支払わなければならなかった。ただし、配給会社のセールスマンにある程度の決定権があり、交渉は可能だった。
照さんはセールスマンが来るとお酒を飲みに連れていき、ほどよく酔った頃合いを見計らって「さっき決めた価格だけど」と割引を頼み込む。どういう仕組みになっているのか照さんにもわからなかったが、なかには50万円の料金を30万円にしてくれる人もいた。
それでも一本数十万円という価格だったから、映画が流行らなければ赤字になる。ヒット作に恵まれない時期が続くと、支払いが遅れることもあった。そういう時、電話をかけて「早く払え!」とヤクザまがいの恫喝をされることもあった。照さんは家族や友人知人からお金を借りて、なんとか工面した。
逆に、親切なセールスマンもいた。ある作品の貸出料金5万円の支払いが遅れた時のこと。朝、連絡を受けて劇場に行くと、福岡から朝早くに出てきたというセールスマンがシャッターの前に立っていた。その彼は、「会社から文句を言われるから、これ使ってください」と、照さんに5万円を手渡した。
「独身の若い子でね。会社に間に合わんからってぱっと帰ったんだけどね。 こんないいセールスマンもおるんだなと思いました。後からしっかりお礼して、お返ししました」
もちろん、常にお金に困っていたわけではない。69年に第1作が上映された『男はつらいよ』シリーズが大人気になり、「松竹ブルーバード」にとってもドル箱作品となった。
82年12月に公開された『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』の封切り直前、照さんは後に松竹の社長に就く奥山融氏と一緒に主演の渥美清が別府に滞在していることを聞き付けた。そこで、顔見知りだった奥山氏を通して渥美清に「舞台挨拶に来てもらえませんか?」と頼んだところ、奥山氏の後押しもあって、滅多に舞台挨拶に立つことがない渥美清がサプライズで劇場に来てくれることになった。


※ログイン後、コメント入力が可能です。