葬祭屋を人に譲った弁助さんは49年、平屋の映画館を開いた。開館にあたり、地域の小学生から映画館の名称を募り、応募があったなかから選んだのが、小学4年生の女の子がつけた「青い鳥」。弁助さんは映画館のグランドオープンの日に、その子のクラスメート全員を招待して、『白雪姫』を上映した。しかし同年、ヨーロッパの映画などを上映していたこともあり、地元の鶴見ヶ丘高校の映画部の生徒に「ブルーバードにしたらどうですか?」と提案され、「青い鳥」から「シネマブルーバード」に改名している。
高校3年生になっていた照さんは、当時付き合っていた彼氏とともに横浜の大学に進学する予定で、願書も提出していた。ところが、映画館でチケットを売る手伝いを始めると、いつも行列ができて、どんどんチケットが売れるのが楽しくて仕方ない。映画も好きなだけ観られるようになり、放課後は映画漬け。映画館から離れがたくなった照さんは、結局、大学進学はやめて映画館の仕事を続けた。
昭和のスターたちとの交流
ひとりで横浜の大学に進んだ彼氏は、岡村昭夫さん。照さんと昭夫さんは4年間、文通しながら遠距離恋愛を続けた。
「彼は貧乏学生だから、こちらが返信用の切手を入れて手紙を送っていました。あの頃は届くまでに3日かかるでしょ。向こうに届いたら、いつもすぐに返事が来ました。夏休みとか、彼がこちらに帰ってくる日を聞くのが一番楽しみでしたね」
戦時中に京城(けいじょう/現在のソウル)から家族とともに引き揚げてきた昭夫さんは、照さん曰く「あか抜けていて、食通」。料理が好きだったこともあり、大学を出た後は横浜で中華料理店を開きたいと考えていたそう。
しかし、照さんがそのまま映画館で働くと手紙で告げると、昭夫さんは「ニュートンの引力を感じる」と返答し、別府に戻って照さんとともに働く道を選んだ。
映画館の名前が変わったのは、昭和30年代。当時は東映、東宝、松竹、日活など大手映画会社の映画を専門で流す映画館があった。弁助さんは日活と契約したのを機に、「シネマブルーバード」から「日活ブルーバード」に改めた。
当時の日活は小林旭や石原裕次郎、渡哲也などの映画を作っており、「日活ブルーバード」で上映があると舞台挨拶に来た。そのたびに行列ができて、大変な賑わいを見せた。
映画館も繁盛しており、余裕があったのだろう。弁助さんは、別府市内の鉄輪温泉(かんなわおんせん)に別荘を持っていた。もともと保養所だった大きな建物で、岩風呂の温泉もついていた。舞台挨拶に来た名だたる俳優たちは、いつもその別荘に泊まっていった。


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