しかし、その柔らかな笑顔の内側に秘められているのは、柳のようなタフさ。71年から55年間、女手一つでふたりの娘を育てながら映画館を経営し続けてきた彼女は、思いもよらぬ強風、逆風に見舞われながらも、しなやかに生き抜いてきた。
映画漬けの放課後
31年、別府市内で6人きょうだいの3番目、長女として生まれた照さん。父親の中村弁助さんは映画を観るのが趣味で、照さんも幼稚園に入る前から一緒に映画館に通った。
「ほかのきょうだいも、いるんですけどね。私はその頃から映画が好きだったから、父はいつも私だけを連れて映画を観に行ってました」
父親と観た映画で印象に残っているのは、シングルマザーの看護婦と大病院の院長の息子の恋愛を描いた『愛染(あいぜん)かつら』。物心つく前から恋愛映画が好きで、「照ちゃん、おませさんだね」と言われていたそうだ。
41年、10歳の時に太平洋戦争が始まると、終戦までの4年間、恋愛もののような娯楽映画は禁止された。その間、市民の間に娯楽を求める気持ちが燻っていたのだろう。終戦の45年以降、別府市内だけで約20館も映画館がオープンしたという。もともと銀行員で、当時、葬祭屋を営んでいた弁助さんも、そのブームに乗る。
「銀行で働いていた時、映画館の経理を受け持っていたそうです。それで、その時から『映画館ってこんなに儲かるものなんだ』と思っていたみたいですね(笑)」


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