松本さんもおむつ替えやトイレ掃除、事務仕事といった園のあらゆる業務をこなしながら、足りない運営資金は園の外で稼ぐしかなかった。企業のブランディング、学童や保育園のプロデュースなど、必死になって外部コンサルを請け負い、年によっては1000万〜2000万円を稼いで園の運営を支え続けた。
「認可園ゼロ」で描いた3園構想
そうした日々のなかで、松本さんは痛感した。
「これでは持続可能じゃない。もし自分が病気で倒れたら、園の運営が立ち行かなくなってしまう」
考え抜いた末にたどり着いたのが、認可保育園3園による運営体制だった。3園あれば、各園で本部機能にかかるコストを分担でき、経営を安定させられるはず。まだ1園目の経営も安定していない段階で、3園体制を目指すという大胆な決断だった。
新しいコンセプトへの関心に加え、当時は待機児童問題への社会的な注目も高く、小竹向原園には開園直後からメディアの取材が相次いでいた。
そうしたなかで、ある日、転機が訪れる。メディアを通じて園の存在を知った森ビルの関係者が視察に訪れ、松本さんにこう声をかけたのだ。
「新しいエリアで一緒に保育園をつくり、子どもたちの教育環境を耕しませんか」
新設法人でありながら港区から認可を得て、2012年12月には2園目となる六本木園が開園した。
「ひとつ、ハードルを突破できた」と少し手応えを感じた松本さん。認可園の運営実績ができたことで、次の園への扉も開く。2014年10月、吉祥寺園が加わった。無事に3園体制が整い、ようやく経営も安定した……わけではなかった。
「3園体制になって、『なんとか維持しなきゃいけない』という状態は少し超えました。でも吉祥寺園も、開園してすぐに定員が埋まったわけではなくて。2015年、16年ぐらいまでは、3園体制を維持するためにコンサルの仕事も続けていたんですよ」
開園から約5年。経営が形になるまでには、それだけの時間がかかった。


※ログイン後、コメント入力が可能です。