さらに、孝徳天皇は「難波朝廷の立札」を定め、推古天皇の朝礼を改めさせ、より中国的な傾向の強い内容の礼法を取り入れている。さらに十三階官位制、十九階官位制など儒教・礼制に関わる制度も施行した。
また、大化元年に制定された鐘匱(かねひつ)の制という制度は、朝廷の処置が不当である場合は鐘をつかせるという訴訟制度で、国王はつねに民の声を聞いて政治に反映させよ、という儒教的政治思想にもとづいている。
仏教・儒教以外に道教の影響も見逃せない
さらに、葬礼の面でもそうした傾向は進み、大化2年(646)に制定された薄葬令は、葬礼についての墳墓の規制を加えた。
身分に応じてつくってよい陵墓を制限し、人馬の殉死や殉葬を禁止、造築日数に制限をもうけるなど、民衆の犠牲軽減を図った。
また、仏教・儒教以外に道教の影響も見逃せない。
ことに斉明天皇は、不老長寿を目指す神仙思想とも結び付く道教思想に深く傾倒していたといわれる。
多武峰天宮(とうのみねのあまつみや)は、斉明天皇によって、仙人が住む宮殿を模してつくられたという。
さらに飛鳥各地には道教の影響と考えられる遺跡や石造物などが多数見られ、仙人思想を思わせる考え方がさまざまな場所から読み取れる。
このように、日本という国は古墳時代の後、飛鳥時代を通して中国の思想を混合させながら独自の思想を組み立ててきたのだ。



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