奥山監督が以前からダウ90000のファンであり、蓮見の言葉が生み出すユーモアやせりふ回しに魅力を感じて脚本を依頼したという。舞台でも映画でもアニメでも、蓮見の作風は一貫している。
本来、「クレヨンしんちゃん」という作品の主役はしんのすけである。彼が好き放題に暴れることでトラブルを引き起こしたりして、笑いを生み出していく。しかし蓮見は、その最も便利な「笑いを生む装置」をあえて封印した。そして夫婦の会話劇に焦点を絞ったのだ。
蓮見が面白さを見出したのは、長年連れ添った夫婦の会話の「どうでもよさ」なのだろう。人間の実生活の大部分は、どうでもいいことから成り立っている。「今日何を食べようかな」「そういえばあの話ってどうなったっけ」といった、翌日には忘れてしまうような他愛もない思考や会話の連続でできている。
会話のみで面白いものを作る
蓮見はそこにスポットを当てて、日常会話の中に潜むちょっとした面白さを引き出してみせた。彼は舞台、映画、テレビ、アニメを横断しながら、一貫して「人間同士が話しているだけで面白いものは作れる」という方法論を実践している。
話題を呼んだ「クレヨンしんちゃん」の異色回は、お笑いと演劇を股にかけて多方面に活動の場を広げてきた蓮見翔が、媒体が変わっても同じものを追求している作家であることを、何よりわかりやすく示した作品だったのだ。


※ログイン後、コメント入力が可能です。