東日本大震災の影響で父親が仕事を辞めざるをえなくなり、その後は職を転々としながら神奈川県に移住。
さらに脳梗塞をはじめ複数の病気を患い、安定して働くことそのものが難しくなった。家計は徐々に追い詰められていったが、まだ子どもだった清野さんはまったく気づいていなかった。
中学3年生の1月、学校から帰ると家の電気は真っ暗で、物音ひとつしなかった。おそるおそる寝室の扉を開けると、両親はうなだれ、当時小学校6年生の妹が「まだ死にたくない……」と泣き崩れていた。
布団の上には、1本のナイフが置かれていた。
父親からは「あと1カ月しか生きるお金が残っていない」と告げられた。母親は震える声で「家族が一緒にいられるうちに、一家心中してしまうほうがマシなんじゃないか」とつぶやいた。
清野さんはたまらず、家を飛び出した。
街を歩けば、同じ年頃の子どもがいる。当然のように高校へ進み、その先には大学があり、未来がある。「今は『親ガチャ』って言うんですかね。ただ、生まれの運が悪かっただけなのに」。
「人生、詰んじゃったなあ」。そんな思いが頭をよぎった。
極度の貧困→人生逆転をかけた「受験」
しかし同時に、反骨心も湧いてきた。社会は不条理だ。だからと言って、絶望して自ら命を絶ったり、非行に走ったりするのも、社会の負のレールに乗せられているようで耐えがたかった。
「社会の犠牲になってたまるか」
父親が働けないのであれば、自分が働いて家族を支えなければならない。そのためには、できるだけ稼げる人間にならなければならない。そのためには、学歴が要る。
中学3年生の清野さんにとって、目の前にある人生逆転の大チャンスが「受験」だった。
地元の名門公立高校、神奈川県立横浜翠嵐高校からは、毎年十数名が東大に合格している。か細い道ながら、貧困家庭でも東大へ行ける希望が見えた。
その日から高校入試までのおよそ1カ月、清野さんは死に物狂いで勉強した。生活保護の申請が認められなければ、1カ月後には生きていけない。彼は中3にして、「人生最後の大勝負」と覚悟を決めて受験に挑んだ。


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