高度経済成長期を経て企業の社員旅行は一般的になった。老神温泉は首都圏から近いこともあり、大型観光バスを使った旅行先として選ばれていた。「みんなバスで来ていたよね。隣の朝日ホテルは多い時で9台くらいバスがとまっていたよ」と小尾さんは話す。
1980年代の後半にはスキーやゴルフなどのレジャーが全国的なブームになる。老神温泉は山の中にあり、近くにはゴルフ場やスキー場が点在する。1985年には東京と新潟をつなぐ関越道が開通。群馬県の北部にあり、関越道の沼田インターチェンジからアクセスできる老神温泉は、レジャーを目的とした旅行客の宿泊地にも選ばれた。
しかし、バブルが崩壊すると状況は徐々に変わっていく。福利厚生費を抑えるために企業の団体旅行は減少し、ゴルフやスキーブームも終焉する。大きな転換となったのは1995年だった。小尾さんは「阪神・淡路大震災の後に一気に落ち込んだんだよ」と振り返る。
1995年に公表された群馬県の統計を見てみると、老神温泉の宿泊客数は約27万人を記録しているか、翌年には約22万人にまで減少。環境省の統計でも宿泊施設数のピークは1995年であり、それ以降は施設数の減少が20年間続く。全国の温泉施設にとって冬の時代が訪れ始めた。
団体旅行客が去った温泉地
2000年代に入るとインターネットの普及などもあり、温泉地を訪れる客は個人が多くなった。この時期に14部屋ある金龍園は改装を実施している。その時の調査によると2人の夫婦客が約7割を占めていたそうだ。
「昔は部屋の定員が5人だったんだ。泊まる客は大抵4人。それが2人に減ったわけだから単純に考えてお客さんの数が半分になっているよね」
一方で、朝日ホテルは個人客のニーズに合わせた業態へ転換できなかった。部屋数の多い旅館が改装する場合、多額の投資金額が必要になる。宿泊客数が減り続けるなか、その投資をする余力はなかったのだろう。
また大型ホテルほど人件費は嵩む。時代のニーズに応えられなくなり、徐々に資金繰りが悪化したことは想像にかたくない。2010年に老神温泉を象徴する朝日ホテルは破産した。
さらに温泉街も徐々に縮小していった。
「街にあるお饅頭屋さんやお土産屋さんも少しずつなくなっていってね。昔は3軒くらいあったんだよ。でも最後まで残っていたところもコロナ禍で店を畳んでしまったんだ」


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