「勉強はしているつもりでも、カラーテレビを見てしまうような生活だった」と語る3浪目も、早稲田の政経1本で受験をしましたが、結果は出ませんでした。
「1浪目と2浪目は気が張っていたのですが、この年は緩んで気持ちがついていきませんでした。そこで浪人をやめようと決断できました」
21歳で飲食店のオーナーに
早稲田には行けず、浪人生活に区切りをつけた廣底さん。しかし、本人はこの3年の日々を後悔していないそうです。
「新聞配達も牛乳配達も、浪人生活がなければ経験できませんでした。悶々としていたし、自分のことを半端者だと思っていましたが、自分が知らなかっただけで、世の中にはいろんな人がいることがわかりました。その熱量に触れてきたおかげで、『何かにはなってやりたい、このままで終わらないぞ』という気持ちを持ち続けることができたのだと思います」
浪人生活を終えた廣底さんは、人が集まるような喫茶店でもやろうと思い、店探しを始めます。
そこで同じ宮崎県出身の不動産屋の社長に出会った縁から、21歳で地下2階のスナック「MR.HERO」を開業。
さらに4カ月後には地下1階の居酒屋「みやこんじょ」も引き受け、2店舗のオーナーとなります。
開業の際に葉書80枚を送り、来てくれた10〜20人が友人を連れてきて、常連が増え、少しずつ口コミが広がっていきました。
宮崎日日新聞の東京支社の営業担当ともつながり、宮崎の人々が「東京に都城の店がある」と知るようになっていきます。同郷のそのまんま東(東国原英夫)さんも通うようになり、のちにラジオで店を紹介。たけし軍団も訪れるようになりました。
「開業して2〜3年くらいで、ビートたけしさんも来てくださいました。その時、自分は野球チームを作っていたのですが、たけし軍団の野球チームと野球をしないかと言われました。
『そちらが勝ったらスポーツ大賞(ビートたけしのスポーツ大将)に出してあげるから、うちが勝ったらただで食わせろ』と。
2回やったのですが、どちらも引き分けでしたね(笑)。でも、その時のご縁で、今でも東国原さんが来てくださいます」


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