有料会員登録
ライフ #浪人したら人生「劇的に」変わった

歌舞伎町で45年続く《宮崎料理の居酒屋》の店主…早稲田を3浪で断念「中途半端だった」元浪人生が飲食業界で花開いたワケ

9分で読める
歌舞伎町で都城市の郷土料理店「みやこんじょ」を営んできた廣底政信さん
歌舞伎町で郷土料理店を営む廣底政信さん。今年いっぱいで店を息子に引き継ぎます(写真:新宿みやこんじょInstagramより)
2/5 PAGES
3/5 PAGES
4/5 PAGES

「勉強はしているつもりでも、カラーテレビを見てしまうような生活だった」と語る3浪目も、早稲田の政経1本で受験をしましたが、結果は出ませんでした。

「1浪目と2浪目は気が張っていたのですが、この年は緩んで気持ちがついていきませんでした。そこで浪人をやめようと決断できました」

21歳で飲食店のオーナーに

早稲田には行けず、浪人生活に区切りをつけた廣底さん。しかし、本人はこの3年の日々を後悔していないそうです。

「新聞配達も牛乳配達も、浪人生活がなければ経験できませんでした。悶々としていたし、自分のことを半端者だと思っていましたが、自分が知らなかっただけで、世の中にはいろんな人がいることがわかりました。その熱量に触れてきたおかげで、『何かにはなってやりたい、このままで終わらないぞ』という気持ちを持ち続けることができたのだと思います」

浪人生活を終えた廣底さんは、人が集まるような喫茶店でもやろうと思い、店探しを始めます。

そこで同じ宮崎県出身の不動産屋の社長に出会った縁から、21歳で地下2階のスナック「MR.HERO」を開業。

さらに4カ月後には地下1階の居酒屋「みやこんじょ」も引き受け、2店舗のオーナーとなります。

居酒屋「みやこんじょ」のオーナー廣底さん(写真:廣底さん提供)

開業の際に葉書80枚を送り、来てくれた10〜20人が友人を連れてきて、常連が増え、少しずつ口コミが広がっていきました。

宮崎日日新聞の東京支社の営業担当ともつながり、宮崎の人々が「東京に都城の店がある」と知るようになっていきます。同郷のそのまんま東(東国原英夫)さんも通うようになり、のちにラジオで店を紹介。たけし軍団も訪れるようになりました。

「開業して2〜3年くらいで、ビートたけしさんも来てくださいました。その時、自分は野球チームを作っていたのですが、たけし軍団の野球チームと野球をしないかと言われました。

『そちらが勝ったらスポーツ大賞(ビートたけしのスポーツ大将)に出してあげるから、うちが勝ったらただで食わせろ』と。

2回やったのですが、どちらも引き分けでしたね(笑)。でも、その時のご縁で、今でも東国原さんが来てくださいます」

5/5 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数