「この頃、僕と同じように住み込みで新聞配達をする19歳の予備校生が主人公の『十九歳の地図』という映画を観ました。その時、浪人生だった主人公が今、何をやっているのかを聞かれて『早稲田の政経』って嘘をつくシーンがあるんですが、それに憧れました」
こうして2浪目に突入した廣底さん。この年は牛乳配達をしながら自宅浪人を決意し、戸山で間借り生活を送ります。
「部屋とご飯は無料で3畳の部屋を貸してくれて、給料も月に5万円をもらえました。同居していたのは司法試験の受験生や浪人生ばかりという環境でしたね。牛乳配達では、浪人して早稲田に入った人が、同じ配達の仲間にいて、『ここに早稲田がいる、すごいな』と思っていました」
しかし、「勉強はしているようで、していなかった」と当時の生活を振り返ります。
この頃、同い年くらいの酒屋や喫茶店で働く若者たちとも仲良くなり、月1回ほど土曜日の夜に歌舞伎町へ一緒に飲みにいくようになります。
「ここが歌舞伎町なんだ」と目を丸くしながら、それ以来、月1回の楽しみになっていきました。
2浪目の受験は、「かっこいいから」と早稲田の政治経済学部だけ受けて落ちてしまいます。
「受からなかったらどうしよう、ということはぜんぜん考えていませんでした」
3浪目は歌舞伎町の居酒屋でアルバイト
3浪目は歌舞伎町の居酒屋でアルバイトをしながら宅浪を続けます。ここでの経験が廣底さんの人生を決定的に変えました。
「この年は自分でアパートを借りて、電話を引いて、カラーテレビを買って、人並みの生活をしていました。
バイト先は席数が100人規模の居酒屋だったのですが、お客さんもいっぱい来て満席になっていました。そのお客さんたちは、そこで飲んだ後、より安い場所を求めて他のお店に行くんです。お客さんとちょっとでも話をすると、リピーターとしてまた来てくれることがわかりました。
それで、『知り合いがいれば行こうってなるよな、これが商売か』と気づきました。働くのはぜんぜん苦ではなかったですが、勉強は面白くはありませんでした」


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