中学校の成績は「40人いるクラスで10番くらいに入ればいい方だった」と語る廣底さん。当時は大学に行く気は全くなく、高校は宮崎県立都城工業高等学校の電気科へ進みます。
しかし、高校に入ってからは「なんか違う」という思いが生まれたそうです。
「数学があまり得意じゃなかったのですが、電気科はそれを使うので、自分が苦手な仕事の中の1つだということに気づきました。また、高校でも生徒会長になるのですが、もっと広い世界を見てみたいという気持ちも芽生えてきて、3年生くらいになってから大学受験を考えました。
その中でも広く庶民を迎え入れる雰囲気のあった早稲田大学の校風がいいなと思って志望していましたが、甘かったです」
高校では、面倒見が良かった国語の先生に勉強を見てもらっていた廣底さん。しかし、カリキュラムが普通科と違うために1年の勉強では早稲田には間に合わず。論文試験だけで受験ができた都留文科大学を受験するも落ちてしまい、浪人が決まりました。
新聞奨学生や牛乳配達をしながら浪人生活を送る
早稲田大学の政治経済学部を目指し、浪人を決意した廣底さん。1浪目は新聞奨学生として東京・鷺宮に移り住み、早稲田予備校に通います。勉強と新聞配達を掛け持ちする生活の中で、廣底さんの目に焼き付いたのは勉強仲間ではなく、同じ奨学生たちの営業への熱量でした。
「奨学生は読者を集めてくれば色々もらえる制度があって、みんな必死で読者を獲得していました。入った予備校は大学教授が来て話をしてくれるような熱気のある人たちの集まりで、すごいなって思っていました。
でも、夕刊を配達しなければならないので、予備校からは早く帰っていました。それでもやる子はちゃんとやるのですが、自分は流されてしまいましたね」
それでも浪人をした甲斐があり、この年、廣底さんは法政大学の二部に合格。しかし、「やっぱり昼の学部で学びたい」という感覚と、早稲田への思いを捨てきれず、入学しませんでした。


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