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キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

《豊臣兄弟!》秀吉の出陣を拒否!秀長が"わずか2カ月"で、四国の覇者「長宗我部元親」を降伏に追い込んだ背景

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長宗我部元親(写真: monziroh / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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ここは秀長にやらせるほかはない――。病床で秀吉はそう考えたらしい。秀長が初めて総大将となり、四国征伐へと乗り出すことになった。

秀長は3万の兵を率いて堺を出発すると、6月16日に淡路に到着。そこで明石経由でやってきた甥の秀次軍3万と合流している。「かつて自分をかばった叔父に報いたい」、秀次としても、そんな気持ちがあったことだろう。

そこから大小の船を用いて鳴戸海峡を渡ると、秀長は阿波に進軍。まず木津城の攻略に取りかかると、8日間の激闘の末に見事攻め落とした。

そこから秀長は兵を三手に分けて、海部、一宮、岩倉へと向かわせて、3つの方向から同時に攻める作戦を展開。長宗我部軍は、少ない戦力を分散して対応しなければならなくなり、大いに翻弄されたようだ。

見事な戦いぶりといえよう。破竹の勢いで阿波の諸城を攻略していった秀長。一宮城の戦いでは、秀長は鮎喰(あくい)川を挟んで、辰ノ山に陣をとった。四国を平定する際の重要な戦いがこの一宮城戦だった。

しかし、この一宮城を落とすのに思いのほか、手間取った。包囲して20日あまりがすぎても、膠着状態が続く。

秀吉の出陣を拒んだ秀長

そんな折、病から回復した秀吉が助太刀に動いた。ここまではよくやった。ここからは自分のやり方をみておくがよい。そんなふうに前のめりになる秀吉に対して、秀長は「ちょっと待ってくれ」と制止している。秀吉出陣の情報をキャッチすると、すぐに書状をしたためて制止した。

「今ここで兄者が出陣すれば、今日まで奮闘してきた自分たちの面目がなくなってしまい、それは兄者の器量への批判も招くことになってしまう。たとえ日数がかかることがあっても、期待にたがうようなことはないので、ここは自分に任せてほしい」

その後も再三にわたって出陣しようとする秀吉を、秀長は押し止めている。「小一郎め、ワシに命令するとは」と苦笑しながら、弟の成長ぶりを秀吉は喜んだのではあるまいか。

いつも兄者に頼るわけにはいかない。ここは総大将として最後まで自分でやるべきだ。秀長は戦の総仕上げに入ることにした。

秀長は水路を断つことで、一宮城を落城寸前にまで追い詰めた。そのタイミングで、城将の谷忠兵衛に対して、和議交渉のため秀長のもとへ来るように申し入れている。

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