私は、学歴厨的なモチベーションの代わりに、何か崇高な理想で勉強していたわけではない。最初から「学ぶことそれ自体が尊い」などと思っていたわけでもない。実体験として、考え抜いた末に「答えが導き出せる」ことがあるのが面白かったのである。毎回答えが出るわけではないが、たまに「わかった!」が出るから快感なのだ。
つまり今回考えたい健全さというのは、何か立派で高尚なものではない。自分の内側から出てくる面白さに接続できるかという話なのだ。
釣りと野球も、実は同じ構造
ここで少し、勉強から離れたい。
私は野球と釣りが好きなのだが、別にうまいわけではない。むしろ、やっている人たちの中で見れば、かなり下手な部類だと思う。下手の横好きだ。それでも、私は野球も釣りもかなり好きだし、長時間やっていられる。
これも、たまに会心の一撃が出るからだ。
むしろ失敗のほうがずっと多い。それでも「今のはよかった」という一球、一打がある。釣りも釣れないほうが多いのに、たまに竿先がふっと動く、あの瞬間がある。
そして「打てた」「釣れた」瞬間だけでなく、その手前にある試行錯誤の時間ごと楽しいのだ。
野球なら、次はどう投げるか、どう打つかを考える。釣りなら、場所を変えるか、餌を変えるか、ずっと考える。「こんな作戦にしたから、次はいけるかもしれない」と期待する。


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