有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ビジネス

【独白・前編】鈴木敏文氏秘話、参謀が振り返る50年…「業革」「仮説検証・単品管理」セブンの強さ

8分で読める 有料会員限定
鈴木敏文氏
(撮影:今井康一)
  • 村田 紀敏 セブン&アイ・ホールディングス元社長

INDEX

村田紀敏(むらた・のりとし)/1944年生まれ。大径鋼管を経て71年イトーヨーカ堂入社。96年から2003年まで販売本部長、03年専務取締役・専務執行役員。05〜16年にセブン&アイHD社長兼COOを務めた。村田氏は毎週、鈴木氏との面談を続けた。事務所からの庭園の風景は鈴木氏のお気に入りだったという(撮影:梅谷秀司)

鈴木さんを思い出すとき、最初に浮かぶのは、笑顔です。

第一線を退いてからも、私たちは週に1度、東京・千代田区のホテルニューオータニにある鈴木さんの事務所で顔を合わせていました。毎回、自作の資料を持参して、時の経済情勢やグループの経営状況の分析などを報告していました。長年変わることのない鈴木さんと、「参謀」たる私の日常風景でした。

朝10時からの面談後、お昼は決まってセブン‐イレブンから取り寄せた商品の「試食」でした。現経営陣に何かをフィードバックするわけではないのですが、現役時代からの習慣のようなものです。現役時代と違うのは、その前にアルコールをたしなんだりしたことです。熱かんを2杯ほど酌み交わしたことがあったのですが、そのときの鈴木さんの笑顔が、なぜか強く印象に残っています。

引退後、鈴木さんは「俺たちは運がよかったよな」「みんながやってくれたんだよな」といった言葉を口にするようになりました。引退後の柔らかい表情を思い起こすのは、記憶が新しいからでしょうか。自分でも不思議な感覚です。

最後の面談は、亡くなる2週間前の5月6日でした。どんな会話を交わしたかは、あまり覚えていません。特別変わった様子もなく、普段どおりの鈴木さんだったからです。それが永遠の別れになるとは夢にも思いませんでした。

主のいない執務室。退任後、鈴木氏はホテルニューオータニ内に事務所を構えた。お別れの会の後、事務所は閉鎖される(撮影:梅谷秀司)

鈴木さんとの出会い 自ら手を挙げる者を信頼し、受け止める

私は1971年にイトーヨーカ堂に入社し、企画室予算部の配属となりました。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ビジネス

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数