――目まぐるしいスケジュールだが、マーケティングや広報の要請でそうなっているのか。
「いきなり、ひとりで(販売店に)顔を出しています。突然なんで向こうも迷惑かもしれませんが(笑)。迷惑にならないように心がけつつです」
あくまで中国主導ではじまった軽自動車開発
――ラッコの販売が好調のようだが、日本を巻き込んでの開発だったと想像できる。背景はいかなるものだったか。
「BYDは、日本市場に進出する以前から、日本には軽自動車という規格があることは当然知ってはいましたし、市場規模や販売実績について、データとしてちゃんと押さえていましたね。ただ、私が入った21年の段階では、まだ“軽”を手がけるかどうかは決めてなかったですね」
――東福寺社長は軽自動車進出の後押しをしたのか。
「正直なところ、軽自動車市場は非常に競争が厳しいので、新規に出しても、ゼロベースでやるとなるとペイしないんじゃないかって思っていました。できれば小型車で、ヨーロッパとかアジアのマーケット向けのものを日本に向けても開発してもらったほうが、こっちはありがたいっていう話をしてたんですね。例えば、ATTO3みたいなクルマですね」
――ところが、本社はあえて軽自動車を選んだ。
「23年のジャパンモビリティショーのときに王総裁(王传福Wang Chuanfu)一行が来日して、やっぱり、日本は軽だって話になったんです。一気に“やろう”って話にバッと振れちゃいまして、これはもう何としてもやらなきゃいけないってなりました」
――日本の軽自動車はかなり研究したのか。
「当時一緒にやってくれたメンバーの一人が、日産自動車のサクラを自分で買ってたんですよ。それを、そのとき王総裁が泊まっていたホテルに持ってきてもらって、王総裁は、それをものすごく楽しそうに眺めてました。その日の夜に幹部で集まって、日本では軽自動車をやると決めていました。王総裁は研究者であり、エンジニアなので、競争が熾烈だろうが、いい軽自動車規格のEVを出せば(販売面で)いけるんじゃないかという気持ちがあったんだと思います」


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