隣の大隅横川駅は、今では明治の開業時からの木造駅舎が残る駅としてよく知られるようになった。駅舎は第2次大戦中には米軍機から機銃掃射を受けた。その弾痕が改札口前の柱に残っている。
蒸気機関車時代、筆者はこの付近でC57形が牽引する旅客列車を撮影した。ブラスト音を響かせて勾配を走るC57形の姿はいつまでも印象に残っている。
列車で全線をたどれる日は来るか
大隅横川のさらに先の嘉例川駅も開業時からの木造駅舎で、以前は観光特急が停車するなど賑わいを見せていた。肥薩線の栄枯盛衰、歴史を感じながら、列車はまもなく隼人に到着する。
豪雨により甚大な被害を受けた肥薩線の復興はこれから進んでいくことになるが、筆者にとって最も思い出深い人吉―吉松間も復旧を願うものである。本稿で描いたように、全線を列車でたどれる日が再びやってくることを待ちたい。

