本書の後半で著者は、反トラスト法の強化、過剰なレバレッジや配当リキャップの規制、手数料の開示、受託者義務の明確化、強制仲裁の制限、最終的所有者の開示など、実に多数の処方箋を提示する。
それらはやや細かすぎるほどではあるものの、著者が単なる告発で終わらせず、制度を変えようとしている点が高く評価できる。
問われているのは資本主義のモノサシ?
ファイナンス学者として本書を読み終えて残るのは、PEファンドに対する批判ではなく、むしろ「企業とは何か」という改めての問いだ。
企業は契約の束であると言われる。企業は株主のものであり、たしかに企業の目的は企業価値の最大化であるかもしれない。
そうした説明は理論として便利だが、本書に登場する企業を前にすると、急に心もとなくなる。病院、介護施設、水道、住宅、刑務所までを単なる契約の束として扱い、その束から最も効率的にキャッシュを抜き出すことが企業価値の最大化だとすれば、どこかで定義を間違えている可能性が高い。
悪いのはPEファンドなのか。それとも、その行動を合理的と評価してしまう資本主義のモノサシなのか。
本書は前者を告発する。しかし、本書が読者に突きつける本当の問いは、たぶん後者である。
PEファンドという怪物は、資本主義の外から突然やって来たのではない。われわれが企業価値、資本効率、株主利益という言葉を磨き上げているうちに、その言葉の中から生まれてきたのである。


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