清野さんは、静岡県浜松市で生まれた。幼い頃の記憶で思い出すのは、キッチンに立つ父の横顔。学生時代、ケーキ屋さんでアルバイトをしていた経験を活かし、気が向くとホールケーキやアップルパイを焼いてくれたという。
「生クリームでケーキの上に乗せるバラの花飾りを作ってくれたこともあって。『こうやるんだよ』って見せてくれたのが記憶に残っています」
中学生になると自身もキッチンに立つようになった。お菓子のレシピ本を買い、「これ、食べてみたい」と思うスイーツを作る。祖母から柏餅の作り方を教えてもらったり、姉や妹とたい焼きを焼いたりもした。食べることと同じくらい、お菓子作りが好きだった。
「東京の大学に進学してからは、暇さえあればケーキ屋やスイーツのお店に行きましたね。東京には目新しいお店がたくさんあって、毎日のように足を運んでいました。そうしているうちに、漠然と、ケーキを作る仕事に就きたいなと思うようになったんです」
当時は史学を専攻しており、製菓を体系的に学ぶ環境にはいなかった。ケーキ教室にも通ってみたが、それでケーキ職人への憧れが収まるはずもない。思い切って父に相談したところ、「大学を卒業してから」の条件付きで、製菓学校への進学を応援してもらえることになった。
卒業後、すぐに製菓学校に入学。夜間部のため、昼間はホテル内のレストランのデザート部門でアルバイトをしながら技術を磨いた。オーダーに合わせて、ムースのスイーツや季節のフルーツが乗ったデザートプレートを作る仕事だ。学校が休みの日もシフトを入れ、ほぼ毎日のように働いた。
ところが、2年間の製菓学校を卒業した清野さんが選んだ道は、ケーキ職人ではなかった。「当時はケーキ職人以上に心揺さぶられることがあって……。20代の頃は、本当に色々あったんですよね」と、多くは語らない。だが、お菓子作りが決して嫌になったわけではなかった。
「お菓子作りはずっと好きだったんですよね。何をしていても、ふと、あ、作ろうかなと思っちゃう。誰かに食べてもらいたいとか、子どもが生まれたら手作りのお菓子を作ってあげたいなとか、そういう気持ちは消えませんでしたね」
20代後半で結婚し、出産。食品業界で働くことはなかったが、自宅ではケーキやスイーツ作りを楽しんでいた。彼女の人生が40代後半に入って大きく変化していくとは、清野さん自身も想像していなかった。
「このチャンスを逃しちゃいけない」
転機となったのは2023年。それまで県外で暮らしていたが、家族の体調不良がきっかけで地元・浜松に戻る決断をした。「地元に戻ったらすぐに仕事をしなくちゃ」と考え、引っ越しの準備をしながら、求人を探す日々。ある日、1件の求人が目に飛び込んできた。それが、「うなぎパイ職人」だった。
「うわ、と思いましたね。元から職人という存在に憧れていたので、求人を見つけた瞬間、これやりたい! と思って。浜松に行ったら絶対応募しようと決めました」
けれど、うなぎパイを製造する春華堂は、浜松市民にとって名が知られている企業。全国的にも有名なお菓子を生産する会社で働けるとは思わず、「私が受かるはずない」と不安になった。
「それでも、このチャンスを逃しちゃいけないな、と。当時は40代後半で、この先こんな機会はないと思っていたんです。ダメ元でもいい。もしかしたら憧れの職人になれるかもしれない。そう思って、応募しました」


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