しかし今から20年前というのは、ちょうど研究者の職(ポジション)が、固定制から任期制に変わり始めた時期で、ぼくに安定した職はなかった。
ますます困った。実は、「それほど忙しくない」病院で小児外科医を続けるという選択肢もあった。その病院は自宅から片道100km離れた公立病院で、治療の難しい病気は大学病院に搬送している病院だった。
この病院で働いてみたらという声がけをもらったとき、ぼくはまったく迷わなかった。ムリ。
往復200kmを毎日通うなんて、絶対にムリ。そんなもん、健康な人じゃないとできないでしょ? それに地方の病院で「かんたんな手術」だけをこなす人生にいったい何の意味があるのかわからなかった。
「消去法」で開業医になることにしたら、妻と両親が喜んだ
出した結論は開業医になることだった。つまり消去法である。
ぼくは悄然としていたけれど、喜んだのは妻と、ぼくの両親だった。
妻は、ぼくがブラック労働環境から解放されることで大喜びだった。
うちの両親は共に中卒で、ぼくが大学時代に国際的な一流科学雑誌に英語論文を発表しても、ちっとも褒めてくれない人たちだった。医者とは、イコール開業医と考えていて、「これでようやくうちの息子も一人前になった」と安堵していた。
開業してみると、大学病院勤務時代とのあまりの違いに驚き・困惑・不安の毎日だった。
まず診療所を構えると、医者は自分1人しかいない。困ったときに相談できる人がない。今までの当たり前が当たり前ではなくなった。


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