有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ

「推し活」言説の背景にある「お金を落とす=いいオタク」の風潮…消費活動への過剰な礼賛が広がったプロセスとは

6分で読める
新・消費論
なぜオタクは経済主体として語られるようになったのか?(写真:USSIE/PIXTA)
  • 林 凌 武蔵大学准教授
2/3 PAGES

もっとも、こうした見方の拡大は、よくよく考えると少々不思議です。

というのも、当たり前といえば当たり前ですが、何らかの特定の対象について詳しくなる、深く愛する、コミットメントするというオタクの生態において、「お金を落とす」という行為はごく一部に過ぎません。

論理的には、ほとんどお金を使わずに、様々なコンテンツに詳しいオタクというのも想定しうるでしょうし、実際そのようなオタクは、これまで一定数存在してきたでしょう。かつてのインターネットは、違法にアップロードされたオタクコンテンツで埋め尽くされていたのですから。

そうしたオタクのあり方は現代において、次第に不可視化されているように思えます。現代社会におけるオタクとは、経済主体・消費の担い手としてのそれなのです。

このような状況が生じたのはなぜでしょうか。

多くの議論では、経済至上主義的な価値観の浸透や、社会的閉塞感の拡大などが、その理由であるとされてきました3。つまり、私たちはお金を使うことで「報われたい」という感情をインスタントに満たすようになっている。あるいは見通しが暗い社会情勢の中で、自分が変わるのではなく特定の他者を推すことにエネルギーを注ぎ込むようになっている。こうした説明がされてきたのです。

たしかに、こうした説明には、どことなく説得力があります。私たちの消費行動やそれにまつわる感情が、個人の欲望のみに還元されるとは考え難いからです。

しかし、社会的文脈へ議論をすべて回収する枠組みに、私たちは完全に納得して良いものなのでしょうか。

先回りして言えば、筆者はこうした社会的背景を直接この状況と結びつけるような説明図式を採用しません。「オタク」と〈消費〉は密接に結びつけられる形で議論されてきており、それがこうした帰結を生んだのではないか。ここではこの観点から、〈消費〉が良いことであると過剰に語られるようになるプロセスを示すものです。

〈消費〉を肯定的に捉える

このような説明をする意義は、どこにあるのでしょうか。

私たちは、性的消費という言葉に漂う否定的含意が、ジェンダー論における消費観をもとに成立していることを見てきました。

3/3 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数