消費をどことなく悪いものとして捉える見方は、男性=生産者、女性=消費者といった性別役割分業的世界観を前提として成立しています。〈消費〉を搾取などとほぼイコールのものとして用いることができる状況は、このようにして生じたのです。
もっとも、このような否定的消費観は、当然のことながら私たちの社会において貫徹されているわけではありません。むしろ消費を世界に良い影響を与えるものとして理解する見方は、より一般的であるとすらいえるでしょう。
そうでなくては、「応援消費」などという言葉が――半ば官製スローガンであるとはいえ――普及するわけはありません。消費とは良いものである。この消費観は、私たちの社会の中に広く見られるものです。
しかも、このオタクと〈消費〉の結びつきは、単純にそれを肯定する理路からのみ生じたわけではありません。
むしろその歴史を見ると、当初はジェンダー論と同様、消費者であることを否定的に捉える視座が一般的でした。しかしそれはいつしか逆転していき、否定的なものから肯定的なものへと転化していったのです。
では、いかにしてオタクは良い消費を担う主体として定式化されたのか。ここではこの観点より、否定的消費観と対立する、肯定的消費観の歴史を描くものです。
現代社会には消費観のすれ違いが存在している
そしてここまで論じればピンとくる人もいると思いますが、筆者は現代社会におけるフェミニズムとオタク論の間の、いささかギクシャクした関係の根底には、この歴史的に積み上げられてきた消費観のすれ違いが存在していると考えています。
果たして消費は悪いのか、良いのか。この問いは、消費という概念が異なる思想の系列において違う利用のされ方をしている以上、水掛け論にならざるをえません。
であるならば、私たちが考えるべきことは、「『性的消費』や『応援消費』は良いのか、悪いのか」といったことではないでしょう。
そもそも、なぜこうも〈消費〉は様々な文脈において、その意味するところを縦横無尽に変えてしまうのか。この点が具体的な論拠とともに考えられなければならないのです。



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