そして3つ目が、私が特に印象深く思っているポイントです。少し逆説的に聞こえるかもしれません。「苦手なものは一緒にやる」「好きなものは一緒にやらない」というものです。
工夫3 ── 「苦手」は一緒に、「好き」は一人で
算数でつまずいているなら、解き方を教えるのではなく、どこで手が止まっているのか、どんな考え方で詰まっているのか、親が隣で一緒に考えます。「算数なんて、つまらない」と思っている子に対して、「あ、これ実はパズルと同じ面白さがあるね」と声をかけて、苦手の中に転がり始めた「面白い」を、一緒に拾い上げていく。
私たちの大人の感覚からすると、つまずいている子こそ、手取り足取り教えてあげたくなるものです。
しかし、東大生の保護者たちは、ここで一歩踏みとどまっています。「教える」ではなく「共に考える」を選びとるわけですね。教えると子どもは“教わった”で思考が止まってしまう。一方的に答えを渡すのではなく、子どもの隣で、子どものペンの動きを見ながら、「この手が止まったのは、もしかしてここかな?」と、伴走のかたちで寄り添う。
逆に、好きな科目や好きなことには、基本的に親は介入しません。先ほどもありましたが、好きなものは、子どもが一人でどんどん深掘りできるように、道だけならしておいてあげる。深掘りしている最中に親が口を出してしまうと、せっかくの「自分で考え抜く」というエンジンが、親の声によって上書きされてしまいます。
歴史が大好きで次々と本を読み進めている子に、「次はこれを読みなさい」と親が本を指し示してしまえば、せっかくの自走が、親のコンパスへと書き換えられてしまうわけです。
東大生たちに話を聞くと、「親は自分の趣味には一切口を出さなかったけれど、勉強でわからないところはいつも隣にいてくれた」という声がかなり多く返ってきます。
「苦手は伴走、好きは放任」。ここに、東大生の親たちの、絶妙なさじ加減があります。


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