このようにして、「勉強そのものを楽しいと感じる状態」が子どもたちのなかに根づいてしまえば、もう、親が「勉強しなさい」と言う必要はありません。
子どもは自分の足で歩いているからです。むしろ、そこにいたって初めて、「勉強しなさい」という言葉が、逆にブレーキになってしまう。火がついた瞬間に風を送るのをやめてしまえば、せっかくの火は消えてしまいます。
実際に、教育熱心なご家庭のカウンセリングをしていると、「自分が毎日『勉強しなさい』と言うたびに、子どもの顔つきが悪くなる」「机に向かう時間は増えたのに、テストの点数は下がった」というご相談をよくいただきます。
逆に、東大生の保護者からは、「うちの子には勉強しろと言ったことはほとんどない」という声が、同じくらいの割合で返ってきます。
どちらのご家庭も、子どもを愛しているという点では、きっと何も変わらないはずです。違いは、声のかけ方ひとつと、しかけの有無だけだ、と私の周りのデータは語っています。
仕組みが回ると「勉強しろ」は必要ない
これは、決して特別な才能の話ではありません。再現可能で、どこの家庭にでも転がっている、ごく小さな工夫の組み合わせです。
「勉強をしてほしい」という親の気持ちが、命令のかたちに変わらないようにだけ気をつけて、「子どもが“やってみたい”と感じる着火点」を、一つずつ置いていく。
たったそれだけのことで、子どもは自分から動き始めるはずです。


※ログイン後、コメント入力が可能です。