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アジア太平洋戦争を記録した日本人技術者・小松真一…彼の絵日記をフィリピン人はどうみたか

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小松真一が収容所で描いた絵日記の1つ。片目と片腕を失った日本兵にアメリカ兵がコーヒーを差し出す場面(写真:虜人日記博物館提供)
  • 柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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この夏、フィリピン・マニラ首都圏の博物館で「二つの世界の狭間で――80年前のフィリピン日記・小松真一」と題する展覧会が約1カ月半にわたって開催された。アジア太平洋戦争末期に軍属として派遣された日本人技術者が日本占領下のマニラの様子や、迫るアメリカ軍からの逃避行、捕虜としての生活などを描いた絵日記が展示された。日本軍の進軍により111万人の国民を失い、美しかった街を廃墟とされたフィリピン人は日本人の視点で描かれた作品をどうみたのか。

展示会が開催されたのは、マカティ市の「アヤラ・ミュージアム」。植物を発酵させて代替燃料を製造する技術指導のため1944年3月、フィリピンに赴任した小松真一が戦場で過ごした過酷な日々とアメリカ軍の捕虜になり46年12月に帰国するまでの暮らしぶりを記録した絵や文章が100点余り展示された。

展示会の様子(撮影:柴田直治)
 

奥田碩がトヨタ幹部に薦めた『日本はなぜ敗れるのか』

真一が73年に61歳で死去した後、銀行に保管されていた戦時中の日記4冊、画集5冊をもとに、遺族が私家本を出版した。それを手にした評論家の山本七平が「戦争と軍隊に密着してその渦中にありながら、冷静な批判的な目で(中略)淡々と簡潔、的確に記している」「おそらく唯一無二の記録」と評価し、75年に筑摩書房から『虜人日記』として出版された(ちくま学芸文庫、04年)。

フィリピン戦線に従軍した経験を持つ山本はその後、真一が日記の中で記した日本の「敗因21カ条」を敷衍して『日本はなぜ敗れるのか――敗因21カ条』(角川新書、04年)を出版した。2026年8月8日に鬼籍に入った元トヨタ自動車社長の奥田碩がこの本を「ぜひ読むように」とトヨタ幹部に薦めたとの逸話が残っている。

フィリピン戦線で戦った日本軍兵士の記録は数多く残されている。大岡昇平らの文学作品も高い評価を受けているが、『虜人日記』のユニークな点は、兵士ではなく軍属として赴任した技術者が戦闘から少し離れた位置で状況を冷静に観察しているところにある。

アメリカ軍が迫ってもなお放蕩する高級将校らの堕落ぶりや逃避行中に遭遇した白骨化した日本兵の死体、行き倒れの兵士にウジがたかるさまを克明に描写している。捕虜収容所内で暴力団が生まれたり、アメリカ兵が日の丸などをお土産とするためたばことの交換でねだったりする様子も詳細に記している。食料としたトカゲやバッタ、カエルの絵、入山時の持ち物や収容所内で提供された食事の一覧表、行程表なども細かく記録している。

小松真一が日本人捕虜たちの演芸会を描いた絵日記。収容所で描いた(写真:虜人日記博物館提供)

同時性や現場感を持ち冷徹に観察した小松真一

同時性や現場感が強い点も特徴だ。山本によると、真一が日記を書き始めたのは46年4月にマニラ首都圏北方のオードネル収容所に移されてからだが、それ以前もジャングルの中では軍隊手帳に、捕虜となってからはアメリカ軍のたばこの空箱で表装した小さな手帳に細かく記録を続けた。収容所では医務室から薬品を手に入れ、マラリア薬アテブリンで黄色、赤チンで赤といった彩色を絵日記部分に加えていた。いわば戦時ルポであり、後から脚色したり、文学的な手が加えられたりはしていない。

帰国時にはアメリカ軍から正式な持ち出し許可を得たうえで、日本で没収されないよう骨壺に隠して持ち帰ったという。

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