当時、静岡県東部の地域では、小学校の社会科見学といえばヌマヅベーカリーが定番だった。焼きたてのパンをその場でもらって食べる体験をした世代にとって、のっぽパンは特別な存在になった。野田さんも、その一人だ。さらに、ヌマヅベーカリーそのものも、地元で「ヌマベ」の愛称で親しまれていたという。
また、のっぽパンの存在感は社内でも群を抜いていた。
あるとき、「焼き上がりが不揃いで、販売できないのっぽパンがもったいない」という声が社員の間で広がり、有効活用しようと、ラスクの商品化が持ち上がった。長いパンを小さく切り、バターと砂糖をまとわせて焼き上げると、一口サイズのラスクが完成する。試作品の評判はよく、営業担当からも「これは売れる」と太鼓判を押され、発売が決まった。
ところが、商品を目にした創業家の女性会長は「これは何?」と表情を曇らせた。
規格外ののっぽパンをラスクにしたことを説明すると、「私ののっぽパンを切り刻むの?」と激怒したという。会社の成長を支えたのっぽパンは、会長にとっても思い入れのある商品だったようだ。
実際に叱責を受けたのは野田さんの上司だった。この一件は、「私ののっぽ事件」として語り継がれている。今では笑い話だが、当時は野田さんも震え上がったという。
「クビになるかと思いました」
1日3万本売れていたのに、安売りが削った利益
のっぽパンの販売数は伸び続け、天板に並べて焼く方法では製造が追いつかなくなっていく。需要に対応するため、夜中から連続で焼き続けられる大型の生産ラインが導入された。ピーク時の生産量は1日約5万本に達し、流通範囲は、西は静岡県浜松市、東は神奈川県小田原市、北は山梨県甲府市にまで広がっていった。


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