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ライフ #街とキャンパス

「くさい堆肥の匂いがする」と学生は悶絶も…特命課長が極秘で土地買収の根回しした「藤沢・慶應SFC」誘致の意外な"顛末"

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慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス SFC
湘南台駅からキャンパスまで連節バス・ツインライナーを利用すると10分ほどで到着する(写真:筆者撮影)
  • 松本 史 フリーランス編集・ライター
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また、内部進学者比率を下げないため、新学部と併せて小学校から高等学校までの増設が必要とも述べている。新学部設立と同時にこれを課題にあげることは、いかに慶應がそのカラーを守るものとして、内部進学者を重視しているかがわかる。実際、SFCの開設後、90年10月にはアメリカにニューヨーク学院、92年にはSFCの敷地内に同名の中高一貫校、2013年には横浜市に横浜初等部が開校している。

石川氏は塾員を増やすことで、慶應の社会的な影響力を高めたいという思いも強かった。その当時、1学年あたりの慶應の人数は5000人ほどで、常に見比べられる早稲田は約1万人と倍の差があった。

『未来を創る大学 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)挑戦の軌跡』(以下、『未来を創る大学』)によると、当時は他大学で新学部設立の動きが盛んで、慶應は一歩後れをとっていた。18歳人口が1992年をピークとし、その後激減する中で、文部省の新学部設立許可がおりにくくなるのではないかという懸念もあったという。

慶應がこの場所を選んだ理由とは?

SFCにほど近い場所にある、2022年に開園した遠藤笹窪谷公園(写真:筆者撮影)

しかし、なぜSFCは藤沢市遠藤に開設されたのか? 今では考えづらい表現だが、SFCの開学以前の遠藤は〈藤沢のチベット〉と呼ぶ人もいたほど牧歌的な農村地帯だった(『未来を創る大学』)。

【2026年8月22日7時55分追記】一部表記に誤りがあり、初出時の記述を上記の通り修正いたしました。

慶應と藤沢市の付き合いは、慶應の施設担当常任理事・辻岡昭氏が、理工学部の移転先として遠藤を視察にきた80年3月から始まっている。

理工学部の移転先としてはまとまらなかったが、当時の藤沢市長・葉山峻氏は慶應誘致の可能性を感じ、その後、長年にわたって熱心な勧誘を続けた。葉山氏にとって幸運だったのは、偶然にも妻が辻岡氏の慶應時代の親友の妹であったことだ。妻自身も幼稚舎からの塾員で、その後、交流が続いた。

そうして、葉山氏はごくわずかな人間にだけ情報を共有し、密かに慶應誘致の算段をつけていく。

実はSFCの敷地の約7割は、相模鉄道の土地だった。まず葉山氏は相鉄バスの社長を務めていた高校の同級生を通じて、早い段階から相模鉄道に売却の意思確認をしている。

しかし、相模鉄道の土地は虫食い状態で、かつ慶應が求めている10万坪には足りない。そこで、81年に当時の都市計画課長であった西野康雄氏に慶應誘致の話を打ち明け、〈……地元対策などの準備を一切誰にも話さずに単独で行うよう……〉特命した(『未来を創る大学』)。そして、この頃から葉山氏は大学誘致を自らの政策目標に掲げ、その上で遠藤地区を「健康と文化の森」と呼び、文化の核としての大学、そして総合病院の設置を唱えるようになっていく。

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