在日台湾人団体の「全日本台湾連合会(全台連)」は8月9日、抗議声明を発表した。長崎市の鈴木史朗市長宛てに「台湾代表に対する不当な扱いに断固抗議する」との声明を提出するとともに、地方自治体が中国に忖度して台湾への対応を変更したのではないかとの疑念を示し、決定過程の透明化と公正な扱いを求めた。
こうした台湾側の抗議を受け、8月10日に鈴木市長は、台湾側から「台湾の被爆者の代表として参列したい」との申し出を受けて参列を認めたと説明した。
日本と正式な外交関係がないため、公式な案内状の送付対象ではなかったものの、重要なパートナーとして各国大使らが座る「海外席」の一部、すなわち国際機関などのエリアに席を確保し、丁寧に対応したとしている。
また、台湾側から出た「中国の意向に屈した」との批判に対しては、「まったくない。いかなる国にも特別の配慮をしたことはない」と明確に否定した。
台湾が長崎市に憤る歴史的背景
今後の方針については、「市の対応について十分な理解をいただけるよう、今後も努めていく」と述べた。
日台双方の機関・団体とも、それぞれの主張を掲げながらも、これ以上、日台関係に亀裂が入らないよう配慮していることが見て取れる。
しかし、台湾社会や世論は「日本は台湾の親友ではなかったのか」という落胆と、長崎市の対応に対する怒りが依然としてくすぶっている。
台湾社会や世論で長崎市への怒りが収まらない理由について、台湾との歴史的なつながりも含めて考えてみたい。
1つ目は、鄭成功(1624~1662年)の母・田川マツ(1601~1647年)を通じた歴史的・血縁的なつながりである。
鄭成功は中国・明の時代の軍人・政治家で、当時の長崎県に当たる肥前国松浦郡平戸島で誕生した。清に滅ぼされようとしている明を擁護して抵抗運動を続け、台湾に渡った。鄭成功の人生は近松門左衛門の浄瑠璃『国性爺合戦』でも有名だ。
台湾で「開山聖王」として尊敬を集める鄭成功の母・田川マツも長崎県平戸の出身とされる。台湾人にとって長崎は、単なる日本の地方都市ではなく、「台湾史の基礎を築いた英雄のルーツ(母郷)」として、特別な歴史的・感情的親近感を持つ場所なのである。
そのため、「歴史的・血縁的なつながりが深い長崎から、台湾の尊厳を軽視するような扱いを受けた」というショックと裏切られたとの思いが、今回の問題に対する感情的な反発をより一層増幅させているようだ。


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