同書によると、勝家は一族や家中の者を集めて、最後の酒宴を催しました。『天正記』にもこの酒宴のことが書かれています。
秀吉軍の猛攻に勝家は「力及ばず」、天守に入り、頼みとする家臣80余人を呼び集め「勝家の運命は極まった。今夜から明け方にかけて酒宴・遊興し、名残を惜しもう」と酒宴の開催を宣言するのです。
盃が汲み流され、若い妓女が酌をする。歌が唄われ、舞が披露されます。表面上は楽しい雰囲気ですが、人々の心の中は「悲しみの意(こころ)」が終始付き纏っていたと同書にはあります。落城間際、しかも明日にはこの世を去るのですから、当然の心理です。
お市の方に「落ち延びよ」と伝えた勝家
深夜になり、酒宴は終わります。諸士が退散した後、勝家は妻のお市の方(織田信長の妹)に向かい「明日、敵陣に案内しよう。落ち延びよ」と伝えます。お市の方は信長の妹であり、よもや秀吉が危害を加えるようなことはなく、身の安全は保証されているのだから、落ち延びよ、命を長らえてくれと言うのです。
しかしお市の方は夫・勝家に対し「一樹の陰、一河の流れも他生の縁に依る。たとえ女人であっても意(こころ)は男子に劣るべからず。諸共に自害して、同じ蓮台に相対せん」と泣いて伝えるのでした。夫と共に自害することを願ったのです。
ちなみに『太閤記』には「たとえ女人であっても意(こころ)は男子に劣るべからず」とのお市の言葉は記されておらず「このようなことになったのも前世の宿業、今更驚きはしません。よってこの城から出るなど思いも寄らぬこと。ただ3人の娘はここから出してくれませぬか」ということが書かれています。
その後、勝家は自害するのですが、『天正記』にはその様子がかなり生々しく描かれています。
天守のうちに攻め入ってくる秀吉軍。その状況を前にして、最期の時を迎えようとしている柴田方の人々。
お市の方や勝家の「妾」12人、「女房」30余人は「最後を期して」念仏を唱えていたと言います。勝家はお市の方をはじめとする女性たちを自分の手元に引き寄せると、1人ひとり刺し殺しました。
その後で勝家は「勝家が腹の切り様を見よ」と言うと、腹を切った後に「五臓六腑」を掻き出し、家臣に介錯を命じたのです。
勝家の家臣も次々に刺し違えて、死んでいきました。この凄まじく、哀れな有様を見聞して、多くの者が涙を流したといいます。


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