『太閤記』にも勝家らの潔い最期を評価する言葉が見えます。ちなみに戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスの書簡にも勝家の最期の様子が記されています。
そこには「事ここに至って柴田はわらに火薬を撒き、家屋が燃え始めると誰よりも早く信長の姉妹で数カ月前に娶った妻とそのほか一族の婦人たちを殺し、続いて短刀で自らの腹を十字に切り、その場で息絶えた。ほかの武士および彼と共に城内にいた残る人々も皆同様に愛する妻子を殺した」と記されているのです。
敵方にも最期の状況を知らせた
フロイスの書簡によると、勝家は「死ぬ前に諸人から意見を聞いたうえで、話術に長けた身分ある老女を選び、この出来事のすべてを目撃した後、城の裏門から出て敵にことの次第を詳しく語らせるようにした」と言います。自分たちが潔い最期を遂げたことを敵方(秀吉方)に伝わるようにしたのです。勝家とその妻・お市は悲壮な最期を遂げますが、その潔さは現代に生きるわれわれにも十分伝わってきます。
(主要参考文献一覧)
・黒田基樹『羽柴秀長の生涯』(平凡社、2025年)
・柴裕之『秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下一統』(NHK出版新書、2025年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)


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