「私の少女時代は戦争の真っ只中。空襲や疎開を経験し、終戦の翌年に11歳で母を亡くしました」と小山さん。その後、松竹にスカウトされ映画女優に。「仕事一筋で年間10本くらい撮影していた」と振り返ります。
健康も経済も生きがいも、いっぺんに失った
1960年、映画監督の大島渚さんと結婚。その年、映画『日本の夜と霧』が上映停止になったことで監督の大島さんと松竹が対立。小山さんは大島さんとともに松竹を退社しました。
「幸せいっぱいの新婚生活も束の間、2人とも職がなくなって経済的には大変でした。私はテレビに活動の場を移し、多くのドラマに出演。映画を作るという夫婦の目標に向かって経済を担いました」
そうして30年以上、二人三脚で支え合い、大島さんは『戦場のメリークリスマス』などを制作。2人の息子が結婚し、ようやく「夫婦で旅行でも」と話していた矢先の96年、大島さんが脳出血で倒れました。
「『大島は回復しないかもしれない』『制作発表したばかりの映画を撮れなかったら、莫大なお金がかかって我が家は破産する』『歩くことができず言葉すら失った大島を私が家でちゃんと介護できるのか』……そんな不安と妄想にとりつかれた私は、うつ病と診断されて入院。健康も経済も生きがいも、いっぺんに失ったと思いました」

