小学6年生のとき、学校で原稿用紙のページ数制限がない作文コンクールがあった。他の子どもたちは、原稿用紙2〜3枚程度のものだったが、彼はそこで爆発した。
原稿用紙100枚超え。サッカーの少年を主人公にした大長編小説「ドリームサッカーストーリー」を、彼は書き上げたのである。
「中学受験目前の小学6年生の秋が提出で、半年かけて、キャラクター設定とか一丁前に考えて、勉強もせずに、ひたすら書いてました。今読み返すと、まあひどい出来のものなんですよ。言葉の選び方もダメダメだし、説明がよくわからないところもあるし。でも、なんか楽しかったんですよね」
そして彼はこの作品でコンクールの賞を取った。母親としては複雑な気分だったろう。あれほど勉強させたかった息子が、勉強ではなく、原稿用紙100枚の小説で表彰される。そしてこの時母親は、「この子は、気分が乗らないことは何ひとつやらない子どもだ」ということを理解したのかもしれない。
母「どうせ私が言ってもあなたは勉強しない」
小学校を卒業するとき、母親は西岡さんに、こう言ったという。
「12年間でよくわかった。あなたは、どうせ私が言っても勉強はしない。気分が乗らないことはとことんやらないし、逆に、気分が乗ることはとことんやる。だからもう、私は何も言わない。ここからはあんたの人生だ」
これは、12年間の子育てを経て母親が発した、ある種の敗北宣言だった。母親は、息子の性分を正確に認識し、そして諦めた。強制しても無駄。自分で火がついたことしかやらない。無理に火をつけることはできない。
こうして彼は、算数1科目入試で、当時の偏差値約40程度の中高一貫校・宝仙学園理数インターに入学することになる。
中学に入って母親が勉強に対して何も言わなくなったのをいいことに、ゲームと漫画に没頭し、学年ビリになった。そして中2のある日、担任の先生から呼び出しがかかった。
三者面談を、3時間やった。「なんでそんなに勉強しないんだ」「このままだと中高一貫のこの中学だが、高校には上げないぞ」と、担任は西岡少年を叱り続けた。それでも話し切れないと感じた担任は、翌日もう一度、3時間の三者面談を組んだ。合計6時間、彼は先生に怒られ続けた。
面談が終わり、家に帰る途中、彼は母親を見て、「今回ばかりは、さすがに母も何か言うだろう」と思った。中高一貫で高校に上がれないなど、母親からすれば天地がひっくり返るような話である。


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