東大も、会社名も、研修の成績も、その瞬間には何の保証にもなりません。
組織には組織の事情があります。市場があり、業績があり、組織を守る判断がある。それを感情だけで否定することはできません。
でも、私はその日、はっきりと見てしまいました。
組織は、「代わりはいくらでもいる」の前提に作られている。
この仕事、自分じゃなくてもよくないか
Xデーのあと、私の中に一つの問いが残りました。
この仕事は、自分でなくてもいいのではないか。外銀で働きたい人は山ほどいる。私が明日いなくなっても、誰かがすぐに席に座る。
その人もエクセルを使える。パワポも直せる。英語の議事録も取れる。それで案件は進みます。
私の名前がなくても、組織は止まりません。
組織としては正しい設計です。大きな会社は、そうやって成り立っています。でも、私はそこに長く立っていたいと思えませんでした。
刺しゅうを始めてから、私は逆の怖さを知りました。
私が止まると、新作が止まる。私が判断しないと、次の一歩が遅れる。
外銀では、私がいなくても案件は進みました。いまは、私がいないと何も始まりません。
怖さの種類が、変わりました。
肩を叩かれる怖さではなく、頭を動かさないと何も生まれない怖さ。
私はそちらを選びました。自分の生き方に納得できているかどうか。それが、私のものさしになりました。


