その日の朝、空気が少し違いました。
人事の方がフロアに来て、ある先輩の肩を軽く叩きました。
「ちょっと、別室に来ていただけますか」
その十秒前まで、その先輩はエクセルで作業をしていました。明日のクライアント用の資料を作成中に、肩を叩かれた瞬間、先輩の手が止まりました。
パソコンは、開いたままでした。先輩は別室へ歩いていきました。フロアには、戻ってきませんでした。
外資系金融機関では、その日のうちに社内システムへのアクセスが遮断されました。荷物は後日、自宅へ送られます。
本人が戻る場所は、もうありません。
「ああ、東大を出てもこれか」
映画でしか見ないような場面が行われるのを見て、思ったのです。
「ああ、東大を出てもこれか」
ビルから出るルートも、いつものエレベーターではありません。
午後には、事務的な連絡が回ります。
「〇〇さんは、本日付でチームを離れます」
それで終わりでした。
挨拶もありません。花束もありません。最後に一言、という時間もありません。
その日、消えたのは1人ではありませんでした。
ベテランの上司もいました。昼に大事なミーティングを控えていた人です。
午前中まで資料を読み込んでいました。人事が来て、いなくなりました。午後のミーティングには、別の人が出ました。
実は、私の同期も、このXデーにひっかかり退職させられました。入社して半年。同期の中でも、かなり努力していた人です。
東大に入った。就活を勝ち抜いた。外資系投資銀行に入った。朝から夜中まで働いた。ショートカットを覚えた。数字をそろえた。
フォントを直した。それでも、ある朝、肩を叩かれたら終わる。

