こうした長年の議論に決定的な転機をもたらした研究があります。2023年に発表された、ダニエル・カーネマン、マシュー・キリングスワースらによる共同研究です。
カーネマンはノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の巨人。彼は2010年共同研究で、「年収約7万5000ドル(当時のレートで約700万円前後)を超えると、日々の感情的な幸福度は頭打ちになる」という有名な結論を導きました。お金が増えても、ある水準を超えると日常の幸福感はもう変わらない。この発見は世界中で大きな話題になり、「幸福には天井がある」という考え方が広く知られるきっかけになりました。
一方、キリングスワースは2021年の研究で、まったく異なる結論を示します。所得が上がり続ければ、幸福度も右肩上がりで伸び続けるというのです。頭打ちなど存在しない。お金と幸福は、もっと素直な関係にある、と。2人の権威ある研究者が、真逆の結論を出していたわけです。
ライバル同士による共同研究が導き出した答え
どちらが正しいのか。その答えを出すために、2人は手を組むことを決めました。かつてのライバルが共同研究に取り組む。「敵対的協力」と呼ばれる、学術界でも異例の手法です。2023年に発表されたこの共同研究は、両者の主張を統合する画期的な結論を導き出しました。その結論は次の通り。
【所得が増えると幸福度は確かに上がり続ける。しかし、その上がり方は次第に緩やかになっていく。年収が上がるにつれて幸福の「伸び率」は鈍くなる。さらに注目すべきことに、ある調査では高所得であっても幸福度がほとんど上がらない層が全体の約15〜20%いること、つまり約5〜6人に1人の割合でいるということが判明。
その層に共通していたのは、失恋や大切な人との死別、臨床的なうつ病など、「お金では解消しきれない深い苦しみ」を抱えていること。お金は人生を支える重要な力になる。でも、人間の苦しみのすべてを解決できる万能薬ではない。】
つまり、この研究がたどり着いた結論を一言でまとめると、こうなります。「お金そのものが幸せをつくるわけではない」。でも、不幸の下限を決めているということ。
わかりやすくたとえてみましょう。お金は幸せそのものではなく、幸せが育つための地面のようなものです。地面がしっかりしていれば、その上で人は笑ったり、挑戦したり、誰かと楽しい時間を過ごしたりできます。でも地面が崩れそうな状態では、落ちないようにすることで精一杯です。幸せを味わう余裕など、どこにもありません。

