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ジョン・カビラ父子が描く「沖縄」の原点、台湾で育った父と語る川平家と日本・沖縄・アメリカに通じる激動の150年史

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著名なラジオパーソナリティであるジョン・カビラさんの父・川平朝清さん(写真:筆者提供)
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これらの記録は、川平家が台湾へ移住したことで先の大戦の戦禍を免れ、現在まで伝えられている。もし川平家が台湾へ移住していなければ、琉球音楽は現在とは大きく異なる姿になっていた可能性もある。

かつてNHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」でも川平家の歴史が紹介された。その冒頭では、沖縄の古典音楽で祝いの席には欠かせない「かぎやで風(かじゃでふう)」を奏でる川平朝彬の姿が描かれている。

後に朝清さんも、沖縄でラジオアナウンサーとなって最初に流した曲がこの「かぎやで風」だった。本書では、この曲を「川平家にとってのテーマソング」だと語っている。

音楽家として知られる朝彬だったが、その息子であり、朝清さんの父・朝平(ちょうへい)さんは23歳の時、尚家から奨学金を得て、後の東京農業大学の前身である「徳川育英黌(とくがわいくえいこう)」に入学し、養蚕を学んだ。

琉球王とともに東京へ

その背景には、尚泰王が東京移住を余儀なくされ、朝彬も明治政府との折衝のため東京へ移っていた事情があった。

さらに朝清さんは、本書で「産業に乏しかった当時の沖縄へ最新の養蚕技術を持ち帰り、地域の発展に役立てたいという思いもあったのではないか」と推察している。

学生時代の朝平さんは、日課だった馬糞集めのため、赤坂の乃木希典邸の馬小屋をたびたび訪れていた。その際、乃木希典は沖縄伝統の琉球髷(まげ)を結った朝平さんに、「なぜそのような髷をしているのか」と尋ねた。

朝平さんが「自分は琉球から来ており、尚泰王に仕えているからです」と答えると、乃木希典は「それもよし」と受け入れ、その度量の大きさを示したという。

しかし、沖縄へ戻って養蚕の普及に携わっていたある日、運搬中の馬糞を道路へ落としてしまい、責任者だった朝平さんは警察から激しく叱責された。

当時の日本には、乃木希典のような懐の深い人物がいる一方で、新たに編入された沖縄県や沖縄の人々を一段低く見る風潮もあった。本土から派遣された警察官に激しく罵倒された朝平さんは大きな衝撃を受け、「それなら沖縄人である自分が警察官になろう」と決意し、自らその道へ進んだのである。

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