信雄は、それからも家康と秀吉の仲を取り持つ調整役として活躍。最終的に、家康は秀吉の求めに応じて上洛を果たし、秀吉の家臣となることを承諾する。結果からみれば、信雄が早々と秀吉との和解に動いたのは、先見の明があったといえそうだ。
同じく調整役を担った秀長
信雄が家康と秀吉の間を取り持ったこの「調整役」という立ち位置は、豊臣政権の内部でもう一人の人物が担っていたポジションと重なる。大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目が高まっている、秀吉の弟・豊臣秀長だ。
本稿ではドラマの展開より一足先の時代まで書いたが、ドラマは8月2日(日)放送休止を挟んで、次回の9日(日)で「清須会議」が繰り広げられる。信長亡きあとの「豊臣兄弟」の物語はこれからで、これから観ても十分楽しめるだろう。
史料では信雄と秀長の間に特別なエピソードは確認できていないが、ドラマで2人の関係性は、どのように描かれるのか。注目してみてほしい。
【参考文献】
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』 (吉川弘文館)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)


