土俵という文脈で比較対象になるのは「力士」という、総じてがっしりとした体格の集団だ。この中で見ると、締まった体は「スマート」と評価される。ところがスーツ姿でスタジオに立った瞬間、比較対象は「一般人、スーツ姿の出演者」という、体格的に異なる集団に切り替わる。同じ体が、この文脈の中では「がっしり体型」側に評価が反転してしまうのだ。
これは、テレビで見るとそれほど印象に残らない女優が、街角で実際にすれ違うと驚くほど魅力的に見える、という体験にも通じている。
テレビや映画という文脈で日常的に接するのは、選び抜かれた女優・俳優という母集団だ。この文脈での「標準」は高く設定される。一方、街角という文脈で日常的に接するのは、ごく普通の人々である。同じ顔でも、比較される文脈のレベルが違えば、評価は大きく変わってしまう。
米沢龍への驚きも、千代の富士の見え方の違いも、根っこにあるのはこの同じ仕組みだ。
「ユニフォーム姿」がいちばん魅力的に見えるワケ
商品開発の現場でも、これと似た力学が働くことがある。
無関係な2つのイメージが1つの姿に融合して現れると、人はそこに強い違和感とともに注意を向け、その違和感を埋めようと情報を探したくなる(※4、※5)。
かつて著者が資生堂で開発に携わった制汗剤「Ag+(エージープラス)」は、「デオドラント」という機能と「銀イオン」という一見無関係な素材イメージを1つの商品名・パッケージに凝縮したことで、テレビCMなしで大ヒットした実績がある(イメージ・モチーフ理論)。
米沢龍を「土俵に立つイケメンモデル」と表現するとすれば、それはこの融合が生む磁力を、人物にもそのまま当てはめたものだと言える。

