当時の野党には、大出俊さんや楢崎弥之助さんなど、強面の論客がいました。彼らの背後には何万人、何十万人もの有権者がいるわけで、そうした人たちにも敬意を抱かなければ、納得すらしてもらえません。国会とは、国民に説明する場所なのです。
例えば03年7月23日の党首討論で、イラク戦争後の「非戦闘地域」への自衛隊派遣をめぐって、小泉純一郎首相(当時)が「私に聞かれたって、わかるわけがない」と答弁して問題になりました。
私はそれを受けて、防衛庁長官として、野党から「もういい」と言われるくらい説明しました。準備も十分に行い、日本共産党からの質問に備えて、「しんぶん赤旗」や「前衛」も丁寧に読み込みました。秘書官たちが「うちの大臣はひょっとして共産主義者なのか」と疑ったほどですが、読まないと相手の思考がわかりません。もっとも、首相時代の私の説明は「石破構文」と言われ、あまり評判はよくなかったようですが(笑)。
権力は抑制的に使われるべきだ
――だから24年の所信表明演説と25年の施政方針演説で、石橋湛山の言葉を引用されたのですか。前者では「国政の大本について、常時率直に意見をかわす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合せるべきことについては相互に協力を惜しまず、世界の進運に伍していくようにしなければならない」と、1957年の石橋内閣の施政方針演説から引用し、後者では「反省すべき点は十分に反省するが、同時に反対党その他の協力を求め、国会がまっすぐに行くように」と述べられました。
はい。権力は抑制的に使われるべきものです。それは自民党の伝統でした。
多数をとっているから、何でもやっていいものではありません。為政者が言いっぱなしではいけないし、質問者が聞いていることをはぐらかすのもよくありません。それは国民に対する欺瞞になるからです。
私は自民党の政調会長時も、衆院予算委員会の筆頭理事として質問に立ったときも、与党だった民主党に対して「この時間はあなたの時間でもないし、私の時間でもない。国民の時間なので真剣に議論しましょう」と述べてから始めました。
現在の国会ではそうした敬意が薄くなりつつありますし、正論を述べる人をさげすむような風潮があることも否定できません。国民一人ひとりの声を軽視して、まともな政治ができるとは私は思いません。
(後編に続く)




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