「不倫」という感情や行為にしても、先述の「同じ境遇で意気投合して喪失を埋めるように惹かれ合った」のように誰もが容易に迷いなく言語化できるものにしない挑戦。そんな気迫がドラマの隅々から漂ってくる。
蒼井が演じる咲子の、社会的には自立しているが家ではズボラという属性も、「ドジかわいい」みたいな型にはめそうになるが、絶叫の声が大きすぎてヤバさが際立つ。また、中島演じる樹生も、誠実で繊細な人物かと思ったら、他者と自分の間に引かれた境界線をうっかりずかずか踏んでしまうノンデリな人物に描かれる。
真っ白で皺ひとつない買いたてのTシャツではなく、洗濯するごとにくすんでくるTシャツのような人間たち。電化製品は万能ではなく、メンテナンスしないと快適に稼働しなくなる。ドラマでモチーフにしている「フィルターに糸くずが絡まる洗濯機」のように。
ありえないものを共存させたうえ、さらに巨大化する「蒼井優」
そんな日常の中で、蒼井の圧倒的な、何度洗濯しても丈夫で、むしろ洗うごとに風合いの出るリネンのシャツのような野性的なたくましさよ。透明感があるのにくすんでいる、相反するものが共存する蒼井優という俳優。第2話で、「羨ましいと憎たらしいが同居した感情に名前がある」と言った樹生に名をつけてほしい。というか、ありえないものを共存させたうえ、さらに巨大化することを「“蒼井優”化」とでも呼びたい。
“蒼井優”化はいま絶好調で、Netflix『ガス人間』でも存分に発揮されている。
このドラマはかつて東宝が製作した映画『ガス人間第一号』(1960年)のリブートになる。「ガス人間」というネーミングや、刑事、ジャーナリストという主要人物の設定は借りながら、ほぼ新しい作品になっている。

