彼女の歌に「業」や「闇」は見えない。あるのは、光と花と夢と旅立ち。迷っても絶望で終わらず、陶酔という方法で見事にポジティブ変換をしてくれる。だから聴くだけでなく、カラオケで歌っても最高に気持ちがいいのである。
平井夏美名義で『瑠璃色の地球』の作曲を手がけた音楽プロデューサー川原伸司は、著書『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録〜』(2022年、シンコーミュージック)にて、美空ひばり、藤圭子、山口百恵、中森明菜といった「家(家族)を背負っている」重さがある昭和型アイドルと対比し、松田聖子を“ミーイズム”のアイドルと記している。
「自分が唄いたいから、楽しみながらやっている。それが彼女の潔さなんです」(『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録〜』シンコーミュージック)
もう1つ、80年代、松田聖子のヒット曲を多く手掛けた作詞家の松本隆が、名バラード『SWEET MEMORIES』について語ったこの言葉も印象的だ。
「自分のことが吹っ飛んじゃってる人も、『SWEET MEMORIES』を聴くと、私にもこういうことがあったんじゃないかな、と思い出すんじゃないかな」(『松本隆 言葉の教室』21年、延江浩著、マガジンハウス)
70年代の歌謡曲に描かれていた「3分間のドラマ」な世界より、ほんの少し「日記」寄り。「私にもこういうことがあったんじゃないかな」というふんわりとした共感を、松田聖子は運んできたのだ。
“小室哲哉”全盛時代に『あなたに逢いたくて』がメガヒット
国民的人気アイドルの道を突き進んできた彼女。だが、89年にリリースされた27thシングル『Precious Heart』で、24作続いたオリコンチャート連続1位が途絶えた。くしくも平成最初の年である。
当時彼女は全米デビューに向けて動いており、日本を長期的に離れることになってしまったこと、長年所属していたサンミュージックから独立したことなどが大きな理由に挙げられる。

