私は地味な服装で来たことを本当に後悔した。さっき見た、かわいらしくドレスアップしていたファンの人が猛烈に羨ましくなる。もっとおしゃれをすればよかった。今すぐピンクを着たい!と。
そう思うほど、松田聖子が放つパワーはすごかった。甘い夢が会場いっぱいに広がっている、そんなイメージだった。
松田聖子の歌に「業」や「闇」は見えない
コンサートでは、松田聖子の1980年代の大ヒット曲が惜しみなく歌われた。デビュー時から群を抜いていたその歌唱力と表現力。80年『裸足の季節』でデビューした彼女は、3カ月後にリリースしたセカンドシングル『青い珊瑚礁』で、早くも「ザ・ベストテン」で1位に輝いた(80年9月25日、10月2日の2週連続)。
くしくもそのとき10位だったのが、山口百恵のラストシングル『さよならの向う側』だ。早熟で、男たちを「坊や」と言い放ちタンカを切る、しかし結局は尽くし、愛に生きるという山口百恵の世界観と入れ替わるように、松田聖子は「夢」と「等身大」を連れてきた。
70年代は男と女のパワーバランスの偏り(女が耐える側)がむしろ主要テーマになっていた恋愛ソング。それが松田聖子の登場によってニュートラルになったイメージだ。
三浦徳子、松本隆、松任谷由実(呉田軽穂名義)、細野晴臣など、時代を牽引するクリエイターたちが彼女の曲で描いたのは、季節と恋心によって、微妙に変化しながら映し出される風景。そしてその中で、自分らしく日常を楽しむ少し強気なヒロインである。
小首をかしげたり、肩を上下させながら横揺れしたり、彼女が表現する「女の子の作戦勝ち」のさじ加減はあまりにも絶妙で、ときに「ぶりっ子」と叩かれもしたけれど、まっすぐな自己肯定感は本当に清々しかった。「チェリーブラッサム」の歌詞にある「何もかも めざめてく 新しい私」という歌詞そのもの。

