保線区の職員がマイクロバスで現場に向かった。マイクロバスの第二便には地元の新聞社の支局員も乗ったので、頼み込んで筆者も乗せてもらい現場に向かった。現場に向かうマイクロバスにも容赦なく高波が襲いかかった。
事故現場は広戸から1kmほど先の海岸線が迫るカーブ区間で、線路を支える道床が波に洗われ、宙に浮いた線路に1725列車が突っ込み脱線転覆して海中に没した。早朝の列車だったため、乗客は客車後部に数人で無事というが、機関士が行方不明という。
筆者は機関車のすぐ後の客車の半分が海中に没している姿を見て足が震えた。なぜなら鉄道ファン、とくにSLファンは機関車のすぐ後ろの客車の最前部に席を確保するものだったからだ。この列車に間に合っていたら、筆者は間違いなくその最前部に席を取り、怒涛逆巻く海に没したはずだ。荒波が収まったころ、機関士は機関車の近くで亡くなっているのが見つかったという。筆者は撮影した未現像のカラーフィルムを、某大手新聞社の支局員に渡した。
五能線にはこのような痛ましい歴史もある。8620形の運行は事故の翌年に廃止され、蒸気機関車の姿は消え無煙化された。安全対策も強化された。
「白神山地」と観光路線化
時代は下り、国鉄末期、そしてJRに移行すると五能線にも近代化の波が訪れるようになった。通学生や行商のおばちゃんたちを運んだキハ10系の古い気動車も、国鉄末期には新しいキハ40系に変わった。

