このように、現場レベルでの「働き損という被害者意識」や「隣人への嫉妬」がいちいち強烈に刺激され、社会の分断が決定的なものになるリスクを孕んでいる。そもそも、資産や世帯全体の購買力を完全に捕捉しないまま個人単位で給付を行えば、「本当に困窮している層」と「世帯としては裕福だが個人としては低所得の層」が混在することになることは明らかだ。
そうして、中間層の「相対的剥奪感」による不満は、制度を作った政府だけでなく、直接の給付対象者(弱者)へと向けられることになる。すでに「相対的剥奪感」の温床になっている年金制度と生活保護の構造的な矛盾と同様、互いを監視し、引きずり下ろし合う「相互排除」の世界を招来することになるのだ。それと同時に、近年勢いが増している生存主義(サバイバリズム)の潮流に拍車をかけることになる。
「サバイバー」と「取り残された層」へ二極化していく
経済学者のアルバート・O・ハーシュマンは、組織や国家のサービスが低下した際、メンバーは2つの手段のどちらかをとると論じた。「告発・抗議」=投票、デモ、あるいは世論形成によって、システムを内側から変えようと行動することと、「退出・離脱」=そのシステムに見切りをつけ、別の代替案へと立ち去ることだ(『離脱・発言・忠誠 企業・組織・国家における衰退への反応』矢野修一訳、ミネルヴァ書房)。
今の日本で起きていることにスライドすると、「静かな退出・離脱」とでも呼ぶべき傾向が加速することになるだろう。中間層は、止まらない物価高や、不公平で複雑な給付付き税額控除の顛末を見て、「政治に期待したところで、どうせ何も変わらない」という思いをより強くし、NISAや副業という「自分の管理可能な私的領域」へとリソースを集中させることになる。
これは、国家というプラットフォームに対する実質的な不信任投票にほかならない。そこで問題になるのは、前述の「相互排除」と「嫉妬」をデフォルトとする背景を強化する新たな階層化である。NISAをフル活用するだけの余剰資金があり、副業に活かせるITスキルや人脈などがある「強者中間層」は、自己防衛に成功するだろう。
その一方で、日々の物価高で投資に回す1万円すらなく、肉体労働などで副業の余力もない「弱者中間層」は、防衛すらできずに沈んでいく可能性が高い。早々に「退出・離脱」ゾーンに移行した「サバイバー」と、どっちつかずのまま「取り残された層」への二極化していくのだ。
自己防衛に成功した「強者中間層」は、多かれ少なかれこう考えるようになるだろう。「自分はリスクを取ってNISAや副業で努力して生き残った。なぜ努力も投資もしなかった人間を、自分の高い税金で救わなければならないのか?」と。
こうして、本来であれば「同じ現役・中間層」として連帯し、政府の増税や社会保障の不備にノーを突きつけるべき人々が、「努力して自己防衛できた強者」と「防衛できなかった弱者」に分裂し、反目し合うようになるのだ。
財政制約などの現実的な要請を優先した結果、現状において人間の持つ「相対的剥奪感」などの基本的な心理傾向を軽視したとみられる謎の新制度は、日本に「新たな火種」を作り出すことになるかもしれない。それはきっと自己責任論を正当化する「新たな理由」にもなることだろう。


