このあたりは当時、情報局総裁であった下村宏が「『新型爆弾』の欺瞞」で詳述している。戦後に月刊誌『改造』で発表した記事である。
つまりは、「新型爆弾」とは正体不明の新兵器を指す言葉ではなかった。「原子爆弾」の語を回避する。それにより自己に都合の悪い事実を、なかったことにする。そのような日本政府としての意図的な用語選択の結果である。
都合の悪い事実は認めない悪習
ちなみに、これは今の政府も同じである。都合の悪い事実を認めない例は珍しくはない。
最近の例ならイラン戦争で生じたナフサ不足である。政府はそれを頑ななまでに認めようとはしなかった。報道があっても政府はナフサ不足の事態を否定した。そして不足している該当企業や業界に政治的な特別配給を実施し、不足している事実の抹消を図った。
26年2月、アメリカとイスラエルがイランを攻撃した際、アメリカが女子小学校を誤爆したことにも気づかないふりをした。対照的に、イランによる海峡封鎖には国際法を持ち出して批判した。しょせんは海洋法であり、例えるなら民法210条の囲繞地通行権(いにょうちつうこうけん、公道に通じない袋地の所有者が、周囲の土地〈囲繞地〉を必要な範囲で通行できると民法210条以下で認められた法定の通行権 )程度の問題を責め立てる。
それでいながら深刻な人道法に背く保護目標への攻撃や、文字どおり女性や子どもの殺害は見ないふりをする欺瞞である。
同様の事実否認は、台湾有事問題や原発コスト問題でもよく見られる。政策から逆算した都合のよい事実ばかりに言及し、都合の悪い事実には絶対に触れようとしない。
今の情報組織の創設拡充もその方向に作用するだろう。政権が欲しいのは政策判断に必要な情報を集める組織ではない。進めたい政策に都合のよい情報を集める組織であり、不都合な事実は探さず、調べず、報告しない組織である。
これは以前に「国家情報局の創設は国を誤らせないか」で述べたとおりである。

