その攻撃とは何であるか。これも当時の常識からすれば原爆以外ではありえない。懐疑論もあったが、その疑いの方向は逆だ。原爆を認めないのではなく、原爆であれば威力が弱すぎるとの内容である。例えば「本当なら一発で瀬戸内海が干上がるはず」といった疑問である。
ちなみに、長崎では知事も8月9日の投下直後にはそう考えていた。「ピカッと光って、大きな音が来た」との報告を聞いた後で「本当なら地上にあるものは全部吹き飛んでしまうはず」と思っていた。その後に浦上方面の黒煙を見ても「通常の空襲とそれほど差はない」と認識していた。それが改まるのは、ありえない数の重傷者発生を把握した後である。
トルーマン大統領の発表
第3は、投下から16時間後にアメリカが原爆使用を発表したことである。それにより日本でも原爆の実用化と投下は確定事項として扱われたのである。
8月6日午前11時、トルーマン大統領は事前準備した書面で広島に爆薬換算で20キロトン以上の原爆、アトミック・ボムを投下した旨を述べた。同時にスチムソン陸軍長官も細部に関する説明文書を発表した。ちなみに翌日のアメリカ紙朝刊は、ほぼ原子爆弾の開発と使用に終始する内容であった。
日本時間では、ちょうど日付が変わった7日の深夜0時である。アメリカでの放送聴取により、さらにその1時間後には日本側にもその内容が伝わっている。
内容を知りえた者は「原子爆弾であることは間違いない」と判断している。海軍の例であれば、終戦工作で有名な高木惣吉(たかぎ・そうきち)少将は6日付の日記に「敵三機ニテ広島二対シ原子爆弾攻撃ヲ行フ。」と書いている。

